今回も哲学書の解説シリーズです。今回は、マルティン・ハイデガー『存在と時間』を取り上げます。
- はじめに――「存在する」とは、どういうことか
- 第一章 マルティン・ハイデガーという人物
- 第二章 「存在」の問い――なぜ哲学は、この問いを忘れてしまったのか
- 第三章 現存在(ダーザイン)――「存在すること」を問う、私たち自身
- 第四章 世界内存在――道具という視点から見た世界
- 第五章 世人(ダス・マン)――「わたし」として生きていない、わたしたち
- 第六章 不安――「無」に直面する現存在
- 第七章 気遣い(ゾルゲ)――現存在の存在の全体構造
- 第八章 死へと関わる存在――もっとも固有な、追い越しえない可能性
- 第九章 良心の呼び声と決意性――本来の自分を、どう取り戻すのか
- 第十章 時間性――気遣いの意味としての時間
- 第十一章 未完の書物――なぜ『存在と時間』は、完結しなかったのか
- 【独自の視点】このチャンネルとしての批判的検討
- 【まとめ】:なぜ、私たちは「本来の自分」から逃げ続けるのか
はじめに――「存在する」とは、どういうことか
前回は、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を取り上げました。今日は、それとはまったく異なる角度から、二十世紀の哲学に決定的な衝撃を与えた一冊を読み解いていきます。「存在する」とは、いったいどういうことでしょうか。目の前にあるコップも、この動画を見ているあなたも、そして「存在する」というこの言葉そのものも、すべて「存在している」わけですが、その「存在する」ということ自体が何を意味するのか、あらためて問われると、答えに詰まってしまうのではないでしょうか。試しに、「これはコップだ」という文と、「コップが存在する」という文を、比べてみましょう。前者は、目の前にあるものが、コップという種類のものであることを述べているにすぎません。ところが後者は、それとはまったく違う次元のことを述べているはずです。コップが赤いとか、重いとか、割れやすいといった、コップのさまざまな性質のひとつとして、「存在する」を数え上げることはできません。「存在する」ということは、そうした性質のリストに付け加えられる一項目なのではなく、そもそもそのコップが「ある」ということそのものを可能にしている、もっと根本的な何かであるように思われます。しかも、この「存在する」という同じ言葉は、驚くほど幅広い場面で使われています。目の前の石が存在する、と言うときと、ある感情が存在する、と言うときと、数学上のある定理が存在する、と言うときとでは、その「存在の仕方」は、明らかに異なっているはずです。石は、時間と空間のなかに、モノとして存在していますが、感情は、誰かがそれを感じているという仕方でしか存在できませんし、数学の定理にいたっては、時間や場所を問わず、いつでもどこでも成り立つという、まったく別の存在の仕方をしています。にもかかわらず、わたしたちは、これらすべてに、同じ「存在する」という言葉を、なんの疑いもなく使い続けています。この、あまりに当たり前すぎて、かえって誰も立ち止まって考えようとしない事態にこそ、ハイデガーは、鋭い疑問符を突きつけたのでした。ところが西洋の哲学は、プラトンやアリストテレス以来、二千年以上にわたって、「存在するもの」、つまり個々の事物や実体について問い続けてきた一方で、「存在するとはどういうことか」という、この「存在」そのものへの問いを、いつのまにか置き去りにしてきたのではないか、とハイデガーは考えました。彼はこれを「存在忘却」と呼び、この忘れられた問いを、あらためて根本から問い直そうとしたのです。実際、『存在と時間』という書物そのものが、冒頭に、古代ギリシアの哲学者プラトンの対話篇『ソピステス』から、次のような一節を掲げることから始まっています。「ある」という言葉でもって、われわれがいったい何を思い描いているのか、その問いへの答えを、今日われわれは持っているだろうか、かつては、その答えを持っていると思い込んでいたはずなのに、いまではまったく心もとなくなっている、という趣旨の一節です。今から二千年以上も前、古代ギリシアの哲学者たちが、すでに真剣に取り組んでいた「ある」ということへの問いに対して、現代のわれわれは、はたして明確な答えを持っているだろうか、いや、むしろ、その問いが存在すること自体を、忘れてしまってはいないだろうか、というのが、ハイデガーがこの書物を通じて、読者に突きつけようとした挑発だったのです。1927年に刊行されたこの書物は、実は、当初の壮大な構想のごく一部にすぎない、未完の書でした。それにもかかわらず、二十世紀の哲学全体を塗り替えるほどの衝撃を与え続けています。刊行当初から、この書物は学界に激震を走らせたと伝えられています。師であるフッサールの現象学を、まったく新しい地平へと押し広げるものとして受け止められる一方で、その独自すぎる用語法や、難解な文体をめぐっては、当時から賛否両論を巻き起こしていたようです。そして、この一冊から、その後の二十世紀思想の、いくつもの巨大な潮流が枝分かれしていくことになります。フランスでは、サルトルやメルロ=ポンティが、この書物に触発されて実存主義の哲学を展開し、ハイデガーの弟子であったガダマーは、この書物の解釈学的な方法を受け継いで、哲学的解釈学という新たな分野を確立しました。さらに、デリダをはじめとする、その後の現代思想の担い手たちもまた、みな、この書物との対決を避けて通ることができませんでした。実存主義、現象学、解釈学というように、二十世紀の哲学の主要な潮流の、そのほとんどすべてが、この一冊に、なんらかの形で根を持っていると言っても、決して大げさではないでしょう。今日は、マルティン・ハイデガーの主著、『存在と時間』を、じっくりと読み解いていきましょう。
第一章 マルティン・ハイデガーという人物
まず、マルティン・ハイデガーという人物について見ていきましょう。1889年、南ドイツ・バーデン地方の小さな町、メスキルヒに生まれました。父フリードリヒは、教会の堂守と、樽職人を兼ねる人物だったと伝えられています。幼いころから敬虔なカトリックの環境で育ったハイデガーは、当初、聖職者になることを志し、1909年、イエズス会の修練院に入りますが、心臓の疾患を理由に、わずか数週間で離脱します。同じ年、フライブルク大学の神学部、大司教区の神学校で学び始めますが、1911年、体調を理由に、神学者、聖職者への道そのものを断念し、数学や自然科学を経て、哲学へと転じていきました。フライブルク大学では、1913年、心理学主義を批判する学位論文を提出しますが、この時の主査は、カトリック系の哲学者、アルトゥル・シュナイダーでした。1911年ごろから、新カント派の哲学者、ハインリヒ・リッケルトの影響を強く受けるようになったハイデガーは、その指導のもとで、1915年、中世の神学者ドゥンス・スコトゥスを扱った教授資格論文を提出します。1916年、現象学の創始者エトムント・フッサールが、リッケルトの後任として、フライブルク大学に着任しました。また、この時期の1917年には、私生活においても大きな出来事がありました。エルフリーデ・ペトリとの結婚です。ハイデガーが私講師として教え始めた1915年ごろ、彼の講義を聴講していたのが、のちに妻となるエルフリーデでした。敬虔なカトリック教徒であったハイデガーに対し、エルフリーデはプロテスタントの家庭の出身であったため、友人であり聖職者でもあったエンゲルベルト・クレブスの司式によるカトリックの儀式と、一週間ほど後に行われたプロテスタントの儀式という、二つの結婚式を経て、夫婦となったと伝えられています。この間、ハイデガーは、第一次世界大戦にも従軍しています。1918年、ドイツ帝国陸軍に召集されたハイデガーは、国内での訓練部隊を経て、同年7月ごろ、西部戦線に展開する前線気象観測部隊に配属されたと伝えられています。電話を通じて、気温や風向、気圧といった気象データを、絶えず砲兵隊や気球部隊、毒ガス部隊にまで伝え続けるという任務であったとされ、9月には師団に配属されて、マルヌ・シャンパーニュ方面の戦闘も経験したようです。11月、休戦とともに動員を解除され、故郷へと戻りました。この体験が、後年の彼の思索に、なんらかの影を落としているのではないかと指摘する研究者もいます。復員後の1919年、ハイデガーは、フッサールの助手となり、この新しい哲学の方法、現象学を、深く学んでいくことになります。フッサールが繰り返し掲げた「事象そのものへ」というモットー、すなわち、先入観や既成の理論的枠組みをいったん脇に置いて、物事がまさに現れてくるそのありさまに、じかに立ち返ろうとする姿勢を、ハイデガーは自らの哲学の出発点として深く刻み込みました。フッサールの現象学は、世界についての素朴な思い込みを「エポケー」、つまり判断停止によっていったん括弧に入れ、純粋な意識、超越論的な主観性そのものを取り出そうとする、現象学的還元という方法を核としていました。ところがハイデガーは、次第に、この意識という出発点そのものに、違和感を抱くようになっていきます。人間とは、まず意識があって、そこに世界が対象として現れてくるような存在ではなく、そもそも最初から「世界のうちに」投げ出され、世界と分かちがたく関わりながら生きている存在ではないか、という直観が、彼のなかで育っていったのです。この違和感こそが、のちにハイデガーを、フッサールの超越論的現象学から離れさせ、独自の存在論へと向かわせる、最初の萌芽であったと言われています。師フッサールは、当時「現象学とは、私とハイデガーであり、それ以外の誰でもない」とまで語ったと伝えられるほど、この愛弟子に全幅の信頼を寄せていました。1923年からは、マールブルク大学の教授となり、この地で、『存在と時間』の草稿の大半を書き上げました。マールブルク時代のハイデガーの講義は、学生たちのあいだで、熱狂的とも言える評判を呼んでいたようです。難解であるはずの古典のテクストを、まったく新しい問いのもとに読み替えてみせる、その迫力に満ちた語り口に、多くの学生が引き込まれたと伝えられています。当時の学生であった若き哲学者ハンナ・アーレントは、のちに、彼についての「隠れた王の噂」というものが、当時の学生たちのあいだに広まっていた、と回想しています。哲学こそが再び生き生きとしたものになった、という評判が、学生から学生へと、まるで秘密のように語り継がれていたということでしょう。1924年、マールブルク大学に入学したばかりの18歳のアーレントは、ハイデガーの授業に出席し、二人は出会います。翌1925年2月、ハイデガーがアーレントに宛てて最初の手紙を書いたことをきっかけに、既婚の教授と学生という立場ゆえに、周囲には秘められた、しかしきわめて情熱的な関係が始まったと伝えられています。この関係が、当時のハイデガーの精神に、大きな昂揚と動揺をもたらしたと論じる研究者もいますが、これはあくまで推測の域を出ない、と付け加えておくべきでしょう。ところで、この主著の刊行そのものにも、切迫した事情があったとされています。1925年、マールブルク大学の哲学講座の同僚であったニコライ・ハルトマンが他大学に転出したことを受け、ハイデガーを正教授に昇任させる話が持ち上がりました。ところが、ベルリンの文部当局は、ハイデガーが1916年以来、十年近くもまとまった著作を一冊も公刊していないことを理由に、この昇任を承認しませんでした。焦った学部側からの強い要請もあり、ハイデガーは、それまで書きためていた草稿を、大急ぎで一冊の書物にまとめ上げることを迫られます。当初の構想では、全体は二部、それぞれ三篇からなる、はるかに大規模なものだったとされていますが、実際に刊行できたのは、その第一部の、しかもすべてを含まない一部分にとどまり、残りの計画は、ついに日の目を見ることがありませんでした。1927年に、これほど急いで世に送り出されたにもかかわらず、そして未完成のままであったにもかかわらず、この書物は、フッサールが編集する学術誌『哲学および現象学研究年報』に発表され、フッサールへの献辞を添えて刊行されるや、たちまち大きな反響を呼び、その年の秋には、ハイデガーにマールブルク大学の正教授の地位をもたらし、さらに翌1928年には、フッサールの後任として、フライブルク大学の教授の椅子までもたらすことになったのです。皮肉なことに、昇進のための切迫した必要に迫られて、いわば見切り発車のような形で世に出されたこの未完の書物こそが、結果として、二十世紀哲学における最大級の達成のひとつとなったのでした。ところで、ハイデガーの著作の題名そのものにも、彼の哲学的な姿勢が色濃く滲み出ている、と評されることがあります。伝統的な哲学が、存在論や形而上学を語るのに、ラテン語やギリシャ語に由来する学術用語を好んで用いてきたのに対し、ハイデガーは、『存在と時間』をはじめ、『杣径』、『言葉への途上』、『道標』、『野の道』といった、多くの著作の題名に、あえて日常的でごく素朴なドイツ語の単語を選び続けました。とりわけ「道」や「途」を意味するヴェークという語を軸にした題名の数々には、ハイデガー自身が生まれ育った、南ドイツ・シュヴァーベンとアレマンの境界に位置するメスキルヒの、方言に根ざした言葉づかいへの愛着が反映されているのではないか、と指摘されることがあります。実際、ハイデガーは、後年、同じアレマン地方の方言詩人ヨハン・ペーター・ヘーベルや、シュヴァーベン出身の詩人ヘルダーリンを、生涯にわたって好んで読み続けたと伝えられており、みずからの哲学の言葉を、抽象的な学術語ではなく、郷里の大地に根ざした、素朴な日常語から紡ぎ出そうとした、その姿勢のあらわれだったのかもしれません。
第二章 「存在」の問い――なぜ哲学は、この問いを忘れてしまったのか
ハイデガーが本書の冒頭に掲げた問いは、驚くほど単純です。「存在する」とは何か、という問い、いわゆる「存在問題」です。この問いは、古代ギリシャの哲学者たちにとっては、切実な、根本的な問いでした。たとえば、紀元前五世紀の哲学者パルメニデスは、それまでの自然哲学者たちのように、万物の根源となる物質を探求するのではなく、存在そのものを真理と結びつけて問うという、まったく新しい哲学の態度を切り開いた人物として知られています。そして、アリストテレスは、その主著『形而上学』の中で、個々の学問がそれぞれの特定の存在者を扱うのに対し、哲学だけが「存在としての存在」、つまり、存在するものをまさに存在するものとして探求する固有の学だ、と論じました。ハイデガーがこの存在への問いに強い関心を抱くようになったきっかけの一つは、若き日に、ブレンターノの学位論文『アリストテレスにおける存在者の多義性について』を読んだことにあった、と伝えられています。この論文の題名が示す通り、アリストテレスにとって、「存在する」ということは、決して一つの意味だけで語られるものではなく、さまざまな仕方で語られる、多義的な事柄でした。もし「存在」という言葉が、そのように多くの意味を持ちうるのだとすれば、その多様な意味を貫いて、「存在する」ということそのものが、いったい何を意味するのか、という根本的な問いが、あらためて浮かび上がってきます。若きハイデガーを終生とらえて離さなかったのは、まさに、この問いだったのだ、と言われています。しかし、その後の哲学の歴史の中で、この問いは、すっかり忘れ去られてしまった、とハイデガーは診断します。なぜでしょうか。それは、「存在」という言葉が、あまりにも自明で、これ以上説明を要しない、当たり前の言葉として扱われてきたからです。ハイデガーは、本書の序論で、この「存在」という概念をめぐる、伝統的な三つの先入見を、名指しで挙げています。ひとつは、存在とは、あらゆる存在者に共通する、もっとも普遍的な概念である、という思い込みです。もうひとつは、存在という概念は、あまりに普遍的であるがゆえに、もはやそれ以上定義することができない、という思い込みです。そして三つ目が、存在の意味は、誰もがすでに了解している、自明な事柄である、という思い込みです。ハイデガーは、これら三つの先入見こそが、かえって存在への問いを、改めて問い直す必要性を、覆い隠してきたのだ、と指摘するのです。この最初の先入見、すなわち存在をもっとも普遍的な概念とみなす見方をめぐっては、実は、中世のスコラ哲学において、すでに深く掘り下げられた蓄積がありました。存在は、動物や植物、あるいは色や数といった、一つの「類」のもとに包摂されるような、通常の普遍概念とは、性格を異にしています。もし存在がただ一つの意味ですべての存在者に等しく当てはまる、単純な類概念であったなら、神と被造物、あるいは石と魂といった、存在の仕方がまったく異なるものどうしを、同じ「存在する」という言葉で語ることの意味が、説明できなくなってしまいます。そこで、中世最大の神学者トマス・アクィナスは、存在は、一義的にでも、単なる多義的にでもなく、「類比的」に語られるのだ、という考え方を打ち出しました。これが、「存在の類比」、アナロギア・エンティスと呼ばれる思想です。トマスによれば、被造物においては、「本質」、エッセンティアと、それが現実に「存在すること」、エッセとのあいだに、実在的な区別があるのに対し、神においてだけは、その本質がそのまま存在することそのものである、「自存する存在そのもの」、イプスム・エッセ・スブシステンスであるとされます。存在の意味は、こうして、神から被造物へと、類比的な仕方で、いわば秩序づけられながら分け持たれていくのだ、というのが、トマスの答えでした。ハイデガーは、こうした中世スコラ哲学の緻密な議論の蓄積そのものを否定するわけではありません。しかし、こうした議論が、あくまで「存在とは何か」という問いへの答えを、神学的な枠組みのなかであらかじめ前提したうえで進められてきたのであって、存在そのものの意味を、根本から問い直す作業ではなかった、という点にこそ、ハイデガーの批判の矛先は向けられているのです。ハイデガーによれば、古代ギリシャに始まったこの存在論の伝統は、中世のスコラ哲学、とりわけフランシスコ・スアレスらを介して受け継がれ、その後、デカルトやカントを経て、ヘーゲルの論理学にまで流れ込んでいったといいます。ヘーゲルの扱いは、とりわけ象徴的だ、とハイデガーは考えています。ヘーゲルは、その大著『論理学』の冒頭で、純粋な「存在」、ザインから、思考を開始します。ところが、あらゆる規定や性質を取り去った、まったく無規定な、直接的なものとしての存在は、結局のところ、いかなる内容も持たない、空虚な概念にほかならず、その空虚さゆえに、正反対の概念であるはずの「無」、ニヒツと、区別がつかなくなってしまう、とヘーゲルは論じました。存在と無とは、この純粋な無規定性において、実は同じものなのだ、というのです。ハイデガーは、ヘーゲルが、こうして存在を「無規定的な直接者」として位置づけ、それを、みずからの論理学全体を支える、いわば最上位の前提として据えたことに注目します。しかし、ハイデガーに言わせれば、これもまた、古代ギリシャ以来の伝統が繰り返してきた身振りの、一つの到達点にすぎません。存在とは、これ以上遡って問いようのない、自明で空虚な出発点である、という思い込みを、ヘーゲルは、否定するどころか、みずからの体系の礎として、むしろ積極的に引き受けてしまっているからです。この長い歴史の中で、「存在とは何か」という問いそのものは、繰り返し問い直されることなく、むしろ、これ以上遡って問う必要のない、当然の前提として扱われるようになっていったのだ、とハイデガーは見ています。ここで、ハイデガーが示す、決定的な区別があります。「存在者」、つまり、存在するもの、個々の事物そのものと、「存在」、つまり、それらが存在するということそのものとを、はっきりと区別する、「存在論的差異」と呼ばれる考え方です。目の前のコップという「存在者」を、いくら詳しく調べても、その「存在」そのものの意味は明らかになりません。従来の哲学は、この「存在者」の探求に没頭するあまり、「存在」そのものを問うことを、怠ってきたのだ、というのが、ハイデガーの批判です。さらに、ハイデガーは、この「存在」という言葉そのものが持つ、文法上の特殊な性格にも、注意を促しています。もともと、古代ギリシャ語で「ある」を意味する動詞トー・オンは、文字通り動詞でした。ところが、その不定形が、名詞的な形に転用されることを通じて、「存在すること」という動的な出来事そのものが、あたかも一つの固定した「もの」であるかのように、名詞化されてしまった、とハイデガーは指摘します。ドイツ語で「存在」を意味するザインという語が、動詞の不定形でありながら、しばしば大文字で書き起こされ、あたかも名詞であるかのように扱われることも、この事情を象徴しています。さらに、日常のドイツ語や日本語における「である」「です」という、いわゆる繋辞、コプラの用法も、事態をいっそう厄介にしています。「空は青い」と言うとき、「である」は、単に主語と述語を結びつける、論理的な連結の役割を果たしているにすぎません。ところが、「存在する」と言うとき、それは、たんなる連結を超えて、何かが現実に「ある」ということそのものを主張しています。この、繋辞としての「である」と、存在を主張する「ある」という、二つの異なる働きが、日常の言葉のうえでは、しばしば見分けがたく混ざり合ってしまっているのです。動詞なのか名詞なのか、たんなる連結の言葉なのか、それとも存在そのものを主張する言葉なのか、この文法上のあいまいさそのものが、「存在」という問いを、いっそう捉えがたいものにしてきたのだ、とハイデガーは考えているのです。そこでハイデガーは、この忘れられた問いを取り戻すために、一つの大がかりな方法を予告します。それが、「デストルクツィオン」、すなわち、西洋の存在論の歴史を「解体」する、という作業です。これは、これまでの哲学の伝統を、単に破壊し、否定し去るという意味ではありません。むしろ、長い歴史の堆積の下に埋もれ、覆い隠されてしまった、存在についての根源的な経験を、もう一度掘り起こし、明るみに出す、という、積極的な意味を持った作業なのだ、とハイデガーは述べています。実際、当初の構想では、『存在と時間』の後半部分で、カントやデカルト、そしてアリストテレスの存在論を、この解体という手続きを通じて、一つひとつ批判的に検討し直す予定であった、と伝えられています。では、どうすればこの問いに、真正面から向き合えるのでしょうか。ハイデガーは、一つの方法論的な決断を下します。「存在とは何か」を、そもそも問うことができる、特別な存在者――すなわち、私たち自身――から出発する必要がある、というのです。
第三章 現存在(ダーザイン)――「存在すること」を問う、私たち自身
この、「存在とは何か」を問う、特別な存在者を、ハイデガーは独自の用語で呼びます。「現存在」、ドイツ語でダーザイン、Daseinです。「そこに」を意味するDaと、「存在する」を意味するSeinを組み合わせたこの言葉は、単なる「人間」という言葉の言い換えではありません。なぜ、ハイデガーは、あえて「人間」や「主体」、「意識」といった、伝統的な哲学の言葉を避けたのでしょうか。その背景には、デカルト以来の近代哲学に対する、根本的な批判があります。デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」、いわゆるコギトの原理によって、疑いえない哲学の土台を築こうとしました。しかし、ハイデガーによれば、デカルトは、「われ思う」という営みだけを疑いえないものとして確保する一方で、その「われ在り」、つまり、思考するもの、レス・コギタンスそのものが、どのような仕方で存在しているのか、という問いを、無規定のまま、素通りしてしまったといいます。人間を、まず「考える主体」として、身体という「延長するもの」から切り離して捉える、この心と身体の二元論的な図式そのものが、すでに、人間の存在のあり方を歪めて捉えてしまっている、というのが、ハイデガーの見立てです。だからこそ、ハイデガーは、あらかじめ「主体」や「意識」といった、伝統的な枠組みを背負った言葉を避け、「現存在」という、新しい呼び名を用いるのです。現存在が、他のあらゆる存在者と決定的に異なる点は、現存在にとって、自分自身が存在するということ自体が、つねに一つの問題であり、関心事である、という点にあります。石ころは、自分が存在するかどうかを気にかけたりはしませんが、私たち現存在は、つねに、自分がどう存在するか、どう生きるかを、意識せずにはいられません。ハイデガーはこれを「実存」、ドイツ語でエクジステンツ、Existenzと呼びます。ハイデガーは、この実存という概念について、「現存在の『本質』は、その実存のうちにある」という、印象的な言い方をしています。机や石ころといった、たんに目の前にある事物は、あらかじめ定められた「本質」、つまり、それが何であるかという規定を持ち、その後に、現実に存在するようになります。ところが、現存在は、そうではありません。現存在は、あらかじめ定められた本質を持たず、そのつど、自分がどう在るかを選び取りながら、みずからの本質を、実存することを通じて、そのつど形作っていく存在者なのだ、とハイデガーは考えます。この発想は、のちに、フランスの哲学者サルトルが、「実存は本質に先立つ」というテーゼによって、広く世に知らしめることになる考え方の、一つの重要な源泉になったと言われています。もっとも、ハイデガー自身は、後年、サルトルの実存主義と自分の哲学とは、根本的に異なるものだと明言しており、両者を単純に同一視することはできない、という点には注意が必要でしょう。ハイデガーは、こうした現存在のあり方を、『存在と時間』の第九節で、あらかじめ二つの根本的な性格として、まとめて提示しています。一つ目は、すでに見た通り、現存在の「本質」が、あらかじめ定まった何かとしてではなく、そのつどの実存そのもののうちにある、という性格です。二つ目は、「各自性」、イェマイニヒカイトと呼ばれる性格です。現存在の存在は、つねに、誰か一般のものとしてではなく、そのつど、この私自身のもの、あなた自身のものとして、存在しています。机や石ころが、それが誰のものであるかにかかわりなく、同じ「机であること」「石であること」を保っているのとは違って、現存在の存在は、つねに特定の「私」に属する仕方でしか成り立ちえません。だからこそ、現存在について語るときには、「彼は」「彼女は」ではなく、つねに「私は」という一人称を用いざるをえないのだ、とハイデガーは指摘します。そして、この各自性ゆえにこそ、現存在は、自分自身の存在を、本来の自分自身として引き受けて生きる「本来性」、アイゲントリヒカイトと、世人のうちに埋没して生きる「非本来性」、ウンアイゲントリヒカイトという、二つの相反する様式のどちらかとして、そのつど、みずからを生きざるをえないことになります。この本来性と非本来性という区別そのものが、各自性という性格から、直接に導き出されてくるのです。そして三つ目が、現存在は、すでに固定された何かとしてではなく、つねに、まだ実現されていない可能性へと開かれた、「存在可能」、ザインケンネンとして存在している、という性格です。現存在は、気がつけば、すでにある状況のなかに、みずから選んだのではない仕方で投げ込まれている、という「被投性」、ゲヴォルフェンハイトを抱えながら、同時に、その先にある、いまだ実現されていない可能性へと、みずからを投げ企てる、「投企」、エントヴルフとして生きています。この、すでに投げ込まれていながら、なお、みずからの可能性へと投げ企てずにはいられない、という二重の構造こそが、現存在の「存在可能」という性格を、成り立たせているのです。石ころには、実現しうる「可能性」というものがありませんが、現存在にとっては、存在するということそのものが、つねに、いまだ実現されていない可能性へと向かう、絶えざる運動なのだ、とハイデガーは考えているのです。この現存在の存在のあり方を、徹底的に分析することを通じて、存在一般の意味へと迫っていく、というのが、『存在と時間』全体の方法論、「基礎的存在論」と呼ばれるアプローチです。ところで、この現存在についての分析は、なぜ、たんなる「実存的」な記述ではなく、「実存論的」な分析論と呼ばれるのでしょうか。ハイデガーは、ここで、二つのよく似た言葉を、厳密に区別しています。一つは、オンティッシュ、「存在的」あるいは「実存的」と呼ばれる次元です。これは、私たちが、日々の生活のなかで、実際にどう生き、どう振る舞い、何を選び取るかという、具体的で個別的な経験のレベルを指します。もう一つは、オントロギッシュ、「存在論的」あるいは「実存論的」と呼ばれる次元です。こちらは、そうした個々の具体的な生き方の背後にある、あらゆる現存在に共通する、存在の構造そのものを、概念的に取り出して分析する、いわば一段高い次元を指します。たとえば、誰かが、今日の仕事を選ぶか、それとも別の道を選ぶかという、具体的な決断そのものは、あくまで「実存的」な出来事です。しかし、そもそも現存在が、つねに何らかの可能性を選び取りながら生きざるをえない、という存在の構造そのものを取り出すことは、「実存論的」な考察になります。『存在と時間』が試みているのは、まさにこの後者、すなわち、あらゆる現存在に先立って成り立っている、実存の存在論的な構造そのものを明るみに出す作業であり、だからこそ、この現存在の分析は、「実存論的分析論」、エクジステンツィアーレ・アナリティークと呼ばれるのです。もっとも、ハイデガーによれば、この実存論的な分析そのものが、その土台を、私たち一人ひとりの、具体的な実存的経験のうちに持っている、という点も見落とされてはなりません。存在論的な考察は、けっして、実存的な生から切り離された、抽象的な理論のうえにのみ成り立つのではなく、むしろ、現存在自身が、みずからの存在について、あらかじめ何らかの仕方で理解しながら生きている、その了解そのものを、手がかりとして遂行されるものなのです。なぜ、存在一般の意味を問うために、わざわざ人間という一つの存在者から出発しなければならないのでしょうか。それは、現存在だけが、自分自身の存在はもちろん、他の存在者の存在についても、たとえ漠然とではあれ、あらかじめ、なんらかの仕方で理解しながら生きている、という特権的な性格を持っているからです。この、明確に概念化される以前の、漠然とした「存在了解」を手がかりにすることによってはじめて、私たちは、「存在とは何か」という問いに、具体的に取り組むことができる、とハイデガーは考えたのです。もっとも、ハイデガーは、注意も促しています。現存在は、私たち自身がまさにそれであるという意味では、もっとも身近な存在者ですが、だからといって、自分自身の存在のあり方を、あらかじめ正しく見て取れているとは限らない、というのです。むしろ、現存在は、存在論的には、もっとも遠く隔たった存在者でもある、とハイデガーは述べています。この身近さと遠さという逆説こそが、現存在の分析を、一筋縄ではいかない、慎重な作業にしているのだと言えるでしょう。そして、現存在は、最初から、宙に浮いた孤立した意識としてではなく、つねにすでに「世界の中に存在するもの」として捉えられなければならない、とハイデガーは言います。これが、「世界内存在」、イン・デア・ヴェルト・ザインという、現存在の根本的なあり方です。
第四章 世界内存在――道具という視点から見た世界
この「世界内存在」を、もう少し具体的に見ていきましょう。現存在が世界の中で出会う存在者を、ハイデガーは、二つの様式で区別します。一つは、理論的に、距離を置いて観察される対象としての存在者、「客体的存在者」、手前存在、フォアハンデンハイトです。もう一つは、実際に手に取って使用される道具としての存在者、「用具的存在者」、手元存在、ツーハンデンハイトです。ハイデガーが好んで用いる例が、金槌です。金槌は、それを使って釘を打つという実践の中でこそ、本来の「金槌であること」を現します。使いこなしているとき、私たちは、金槌そのものを意識することすらありません。ところが、金槌の柄が折れたり、頭が外れたりして、使えなくなった瞬間、初めて、金槌は一つの「客体」として、私たちの意識に立ち現れてきます。壊れて初めて、道具は道具でなくなり、単なる物体として観察の対象になるのです。そして、一つ一つの道具は、孤立して存在するのではありません。金槌は釘のための道具であり、釘は木材を組み立てるための道具であり、というように、「何かのための道具」として、他の道具や目的と結びつく、道具全体の連関の中に位置づけられています。この道具連関の全体は、最終的に、現存在自身の可能性――「何のために、家を建てるのか」「何のために、生きるのか」という、究極の目的へと収斂していきます。この、意味の連関の全体こそが、ハイデガーの言う「世界」なのです。この道具連関について、ハイデガーは、もう一歩踏み込んだ分析も行っています。それが、「指示」、フェアヴァイズングという概念です。ハイデガーによれば、一つ一つの道具は、たんに他の道具と機械的に結びついているのではなく、つねに、何かを「〜のために」指し示しながら、道具全体の連関のうちに、みずからの位置を占めています。金槌が釘を指し示し、釘が木材を指し示すように、あらゆる道具的存在者は、この指示という構造によって、はじめて、意味のあるものとして立ち現れてくるのです。この指示という働きを、とりわけ際立った仕方で示す道具として、ハイデガーが取り上げるのが、「標識」、ツァイヒェンです。標識もまた一つの道具にほかなりませんが、その道具としての本領は、何かを製作したり加工したりすることではなく、ひとえに「指し示す」という点にあります。ハイデガーが挙げる身近な例が、自動車の方向指示器です。方向指示器は、たんに車体に取り付けられた機械部品なのではありません。それは、運転者がこれから進もうとする方向を示すことで、周囲の歩行者や、他の車を運転する人々に対して、道路という交通全体の指示連関のただ中で、自分がどう振る舞うべきかを、一挙に開示してみせます。標識という道具は、こうして、道具連関の全体そのものを、周囲を見渡す配視、ウムズィヒトに対して、くっきりと際立たせて見えるようにするという、特殊な役割を担っているのです。なぜ、この道具分析が、哲学史上、画期的な意味を持つのでしょうか。近代哲学の祖とされるデカルトは、世界を「延長する実体」、レス・エクステンサとして捉えました。世界とは、長さや広がりを持った、幾何学的に計測可能な物体の集まりにすぎない、という考え方です。ハイデガーは、この見方を、いわば世界から皮膚を剥ぎ取ってしまうような、生きた経験からかけ離れた抽象化だと批判します。そして、この批判の矛先は、デカルトひとりに留まりません。西洋の伝統的な認識論全体が、まず、世界から距離を置いて対象を理論的に観察する、冷静な「主観」を出発点に据えてきた、とハイデガーは指摘します。しかし、私たちが実際に世界と関わる、もっとも根源的なあり方は、理論的な観察ではありません。金槌を手に取り、釘を打つというように、道具を実践的に「使いこなす」、配慮的な気遣いこそが、より根源的なのです。手前存在としての客体的な認識は、この、手元存在としての実践的な関わりが、何らかの理由でうまくいかなくなったときに、初めて派生的に現れてくるものにすぎない、というのが、ハイデガーの根本的な主張です。伝統的な哲学が、真理を、命題と対象との一致として捉えてきたのに対し、ハイデガーは、真理に先立って、そもそも存在者が「何のためにあるか」という意味において開示されている、この、道具的な了解のあり方こそが、根源的な真理の生起の場だと考えたのです。道具が「客体」として意識に立ち現れてくるのは、壊れる場面だけではありません。ハイデガーは、いくつかの異なる様式を挙げています。まず、道具が破損して使いものにならなくなる「目立ち」――たとえば、金槌の柄が折れる場合です。次に、必要なはずの道具が、手元に見当たらない「差し迫り」――たとえば、釘を打とうとしたときに、肝心の釘そのものが見つからない場合です。そして、周囲の何かが、作業の進行を妨げ、行く手を阻んでくる「食い下がり」――たとえば、作業台の上に無関係な物が積み上げられていて、邪魔になる場合です。これらいずれの場面においても、それまで意識にのぼることのなかった、道具連関という「世界」の存在そのものが、逆説的に、くっきりと浮かび上がってくるのです。この「世界」という概念は、決して、単なる物理的な空間、容器としての空間を意味するものではありません。たとえば、教室という空間を思い浮かべてみましょう。そこにある黒板、机、椅子は、単なる木材や金属の集積ではなく、「教える」「学ぶ」という目的のもとで、互いに関連づけられた、意味の連関として立ち現れています。台所という空間もまた同様です。包丁、まな板、コンロは、それぞれ孤立した物体ではなく、「食事を作る」という目的へと収斂する、道具連関のうちに位置づけられています。私たちが「教室らしさ」「台所らしさ」を、あらためて説明されるまでもなく直感的に理解できるのは、こうした意味の連関のうちに、すでに、いつも投げ入れられて生きているからにほかなりません。デカルトが物理的な広がりとしてしか捉えられなかった空間は、ハイデガーにおいては、こうした行為の意味によって編み上げられた、生きられた場所として、初めてその姿を現すことになるのです。この「世界」という考え方は、あわせて、現存在に固有の空間性についても、あらためて考え直すことを迫ります。現存在にとっての空間は、けっして、幾何学的な座標軸によって測られる、均質で客観的な広がりなのではありません。ハイデガーは、現存在に特有のこの空間の開かれ方を、「隔たりの除去」、エントフェルヌングという言葉で言い表しています。これは、物理的な意味での距離を縮めることではなく、配慮的に気遣われている道具や事柄を、そのつど「近くに」引き寄せる、現存在に固有のふるまいを指しています。ハイデガーが挙げる印象的な例が、眼鏡です。鼻の上に載っている眼鏡は、物理的には、これ以上ないほど身体に近い場所にありますが、使いこなされているあいだ、眼鏡そのものは、意識にのぼることがありません。むしろ、部屋の向こうの壁にかけられた絵のほうが、配慮的な気遣いのうえでは、よほど「近く」に感じられる、とハイデガーは述べています。同じように、道を歩いていて、少し離れたところに見知った知人の姿を見つけたとき、私たちは、その知人を、自分の足が踏みしめている舗道そのものよりも、はるかに「近く」に感じ取っています。物理的な近さと、配慮的な気遣いにおける近さとは、こうして、しばしば、逆転してしまうのです。デカルトが、世界を、たんなる延長する実体として捉えたことの限界は、この空間性の分析においても、あらためて浮かび上がってくることになります。
第五章 世人(ダス・マン)――「わたし」として生きていない、わたしたち
現存在は、多くの場合、他者たちとともにある「共存在」、ミットザインとして生きています。この共存在のあり方をめぐって、ハイデガーは、他者への顧慮的な気遣い、フュルゾルゲにも、対照的な、二つの極端なあり方があることを指摘しています。一つは、「跳び込み奪い去る」顧慮的気遣い、アインシュプリンゲンデ・フュルゾルゲです。これは、他者が本来みずから担うべき気遣いの仕事を、いわば代わりに引き受けて、その他者から奪い取ってしまうようなあり方です。この気遣いにおいては、気遣われる側の他者は、すでに出来上がった結果を、いわば受け取るだけの立場に置かれ、場合によっては、その気遣いに、すっかり依存しきってしまうことにもなりかねません。これに対して、ハイデガーが、より根源的なあり方として描き出すのが、「先んじて自由にする」顧慮的気遣い、フォーラウスシュプリンゲンデ・フュルゾルゲです。これは、他者の仕事を肩代わりして奪ってしまうのではなく、他者が、みずからの実存的な可能性へと向き合い、みずからの気遣いを、あらためて本来的な仕方で引き受けられるよう、その手前で支え、助けるあり方です。この気遣いは、他者から何かを奪うのではなく、むしろ、他者に、その人自身の気遣いを、初めて本当の意味で「返す」のだ、とハイデガーは述べています。そして、この気遣いを通じて、他者は、自分自身の気遣いのうちで、みずからに対して透明になり、その気遣いへと向かって自由になることができる、というのです。しかし、その日常的なあり方において、現存在は、自分自身の固有な可能性から目を逸らし、「人は皆こうする」「普通はこうするものだ」という、匿名の他者、「世人」、ダス・マンのふるまいに、自分自身を委ねてしまいがちです。この世人に埋没した日常性を特徴づけるものとして、ハイデガーは三つのあり方を挙げます。一つ目は、中身のない噂話としての「空談」――おしゃべりです。何かについて本当に理解しているわけではないのに、みんなが言っているから、自分も言う、という語り方です。二つ目は、次々と新しい刺激を追い求め、一つのことに落ち着いて留まることのない「好奇心」です。三つ目は、何が本当に理解されていて、何がただの噂にすぎないのか、その境目そのものがわからなくなってしまう「曖昧さ」です。ここで、大切な補足があります。この、日常への「頽落」、フェアファレンは、道徳的な意味での堕落を意味するのではない、とハイデガー自身が明確に述べています。頽落は、キリスト教的な意味での「罪」とは無関係な、現存在に本来的に備わった、一つの存在様式なのです。とはいえ、この頽落した日常性のうちには、自分自身の本来的なあり方を見失っているという、根本的な逃避の構造が、確かに存在しています。ここで、もう一つ、大切な補足をしておきましょう。この、頽落した日常性のうちにあるということは、現存在が、本来的な自分自身へと立ち返る可能性を、失ってしまうことを、意味するわけではありません。ハイデガーによれば、本来的な自己のあり方は、頽落した日常性の外側から、まったく別の場所へと飛び去ることによって得られるのではなく、むしろ、世人のもとに埋没しているという、まさにその日常的なあり方そのものを、あらためて、みずからのものとして掴み直す、一つの「実存的な変様」なのだと言います。したがって、現存在は、たとえ、どれほど深く世人のうちに頽落していようとも、そこから本来的なあり方へと立ち返る可能性を、原理的に失うことはありません。この可能性は、現存在が存在し続けるかぎり、つねに、なお開かれたままの、実存の可能性として、残され続けているのです。この世人という現象を、ハイデガーは、さらに踏み込んで分析しています。世人には、いくつかの際立った特徴があります。一つ目は、「隔たりを持つこと」、アプシュテンディヒカイトです。私たちは、他者との違いに、絶えず気を配り、遅れを取り戻そうとしたり、逆に、他者に先んじようとしたりします。この、他者との隔たりへの、絶え間ない配慮そのものが、私たちを、知らず知らずのうちに、世人の支配のもとへと組み入れてしまうのです。二つ目は、「平均性」、ドゥルヒシュニトリヒカイトです。世人は、何が正常で、何がふさわしいふるまいであるかという、平均的な基準を、あらかじめ定めています。この平均性は、あらゆる例外や、突出した可能性を、目立たぬうちに押しつぶしてしまいます。三つ目は、「均等化」、アインエブヌングです。もともとの由来や、固有の可能性の違いは覆い隠され、あらゆる存在可能性が、あらかじめ均された、無難なものへと平らにならされていくのです。この、隔たりを持つこと、平均性、均等化という特徴を通じて、世人は、現存在の「誰か」を、公共性という名のもとに、しかし実は誰でもない「無」へと、解消してしまいます。世人という主語には、実体としての誰かが存在するわけではありません。それにもかかわらず、この誰でもない支配者に、私たちは、日々のふるまいのほとんどすべてを、委ねてしまっているのです。ハイデガー自身は、もちろん、インターネットもSNSも知りませんでした。しかし、この世人という分析は、現代のマスメディアや、SNSにおける「バズり」や「炎上」の構造を理解するうえでも、しばしば手がかりとして参照されています。誰が言い出したのかもわからない意見が、拡散され、増幅され、いつのまにか「みんなの意見」であるかのように扱われていく過程には、匿名の世人が、個々人の思考を、静かに、しかし確実に、置き換えていく構造が、透けて見えるのではないでしょうか。フォロワー数や再生回数といった数値によって、何が「正しい」意見であるかが測られてしまう状況もまた、平均性と均等化という、世人の論理そのものの、現代的な現れだと言えるかもしれません。さらに、ハイデガーは、この頽落という運動そのものの性格についても、詳しく分析しています。頽落へと向かう動きは、まず、日常性そのものが持つ「誘惑」、フェアズーフングの性格を帯びています。世人のもとに留まり続けることは、私たちにとって、いわば居心地のよい、抗いがたい誘いなのです。次に、この誘惑に応じることは、私たちを「安定化」、ベルーイグングへと導きます。世人のふるまいに従っている限り、すべてがうまくいっている、何も問題はない、という、見せかけの安心感を、私たちは手に入れることができます。ところが、この安定化は、逆説的に、現存在を、自分自身の本来的な可能性から、ますます遠ざけていく、「疎外」、エントフレムドゥングへと帰結します。そして最後に、こうした誘惑・安定化・疎外が絡み合うことで、現存在は、自分自身が作り上げた、この頽落した日常性そのものに、みずから絡めとられていく、「自己拘束」、フェアフェングニスと呼ばれる状態へと落ち込んでいくのです。この、誘惑・安定化・疎外・自己拘束という一連の運動は、頽落が、単なる受動的な後退ではなく、それ自体、一つの動的な性格を持った、現存在の存在様式であることを、明らかにしています。
第六章 不安――「無」に直面する現存在
ハイデガーは、そもそも「気分」というものを、単なる主観的な心理状態、つまり心の中だけで起こる出来事としては捉えません。気分は、むしろ、現存在が、自分がすでにこの世界の中に、ある特定のあり方で「見出されている」ということを、開示する、根源的なあり方なのだと、ハイデガーは考えます。この、気分によって、自分が世界の中にどうあるかが開かれてくるという、存在論的な構造そのものを、ハイデガーは「情態性」、ベフィントリヒカイトと呼びました。情態性は、「理解」、フェアシュテーエン、そして「語り」、レーデと並んで、現存在の開示性を成り立たせる、三つの根源的なあり方の一つに数えられています。私たちは、いつも既に、何らかの気分の中にあり、その気分を通して、世界や自分自身のあり方が、すでに開かれてしまっている、というわけです。気分は、いわば、私たちが何かをじっくり考えたり、冷静に判断したりするよりも前に、すでに世界や自分自身が、ある特定の色合いを帯びて立ち現れてきてしまっている、という事態を指しています。例えば、退屈や疲労といった、ごくありふれた気分でさえも、実は、世界の中の道具や出来事が、私たちにとってどれほどの重みを持つかを、理屈抜きに、あらかじめ決めてしまっているのです。世人に埋没した日常性から、現存在をふと引き剥がす、特別な気分として、ハイデガーが挙げるのが、「不安」、アングストです。ここで重要なのが、「恐れ」との違いです。「恐れ」は、常に何か特定の対象――向かってくる犬や、危険な崖など――に向けられています。ところが、「不安」には、これといった特定の対象がありません。不安になっているとき、私たちは、いったい何に対して不安なのか、はっきりと指し示すことができないのです。不安において、世界内部の道具や、他者たちが、その意味・重要性をふいに失い、現存在は、いわば「不気味さ」、ウンハイムリヒカイト――文字通りには「家にいない」ことを意味する、根源的な居心地の悪さの中に、たったひとり投げ出されることになります。慣れ親しんだ日常の意味づけが、すべて崩れ落ちてしまうような感覚です。この、対象のない不安という気分をめぐる分析には、ハイデガー以前のある哲学者からの影響が指摘されています。十九世紀デンマークの哲学者、セーレン・キェルケゴールです。キェルケゴールは、一八四四年に刊行した著作『不安の概念』の中で、不安を、罪や自由といった、人間の実存に深く関わる現象として、論じていました。ハイデガーは、『存在と時間』の中で、キェルケゴールの名を、注などでわずかに挙げるにとどめていますが、不安を、特定の対象を持たない特有の気分として分析するという、その基本的な着想において、キェルケゴールから、少なからぬ影響を受けていたと、伝えられています。もっとも、キェルケゴールが、不安を、罪や信仰といった、倫理的・神学的な文脈の中で論じたのに対して、ハイデガーは、それを、現存在の存在論的な構造として、宗教的な色合いを取り除いた形で、捉え直そうとした点に、両者の違いがあるとも指摘されています。キェルケゴールにとって不安とは、自由を前にした人間が、自分自身であることの重みに直面したときに覚える、めまいにも似た感覚でした。ハイデガーは、この、対象を持たないという不安の特徴だけを引き継ぎながら、それを、罪や自由という倫理的な主題からいったん切り離し、現存在という存在者そのものの、あり方の根本構造を開示する現象として、練り直したのだと言えるでしょう。では、対象を持たない不安は、いったい何に向けられているのでしょうか。ハイデガーの答えは、逆説的に聞こえるかもしれません。不安が向けられているのは、実は「無」、ダス・ニヒツだ、というのです。不安の中では、世界内部の存在者が、ことごとくその意味を失い、どこからも迫ってくることがないにもかかわらず、それでいてどこか近くから、息苦しいほどの重みで迫ってくる。ハイデガーは、これを、脅かすものが「無であり、どこにもない」という、独特の言い方で表現しています。存在者の総体が、いわば意味を失って後退していくとき、その代わりに露わになるのは、世界がまさに世界として、無条件に開かれているという、その事実そのものにほかなりません。ふだんの私たちは、世界の中にある、さまざまな道具や仕事、他者との関わりに気を取られ、世界そのものを、世界として意識することは、めったにありません。ところが不安においては、そうした個々の存在者への関わりが、いっせいに意味を失うことで、かえって、それらの存在者を成り立たせている、世界という枠組みそのものが、くっきりと浮かび上がってくるのです。ここで、あらためて、日常性と不安との対比を整理しておきましょう。世人のもとでの日常的なあり方を、ハイデガーは、慣れ親しんだ物や仕事、他者たちに取り囲まれた、いわば「家にいること」になぞらえています。空談や好奇心に身を委ねている限り、私たちは、何が重要で、何をすべきかを、あらためて自分自身に問い直す必要のない、安逸とした心地よさのうちに浸っていられます。ところが不安は、この「家にいること」としての安逸を、根こそぎ奪い去り、私たちを、先に見た「不気味さ」、すなわち「家にいないこと」のうちへと、投げ出してしまうのです。そして、この不気味さは、単に居心地が悪いというだけの出来事ではありません。不安において、世人という、匿名の「誰でもいい誰か」のうちに埋没していた現存在は、その匿名の共同体から、いわば引き剥がされ、他の誰かによって肩代わりされることのできない、この私自身という、ただ一つのあり方に直面させられることになります。ハイデガーは、これを、不安が現存在を「個別化」する、と表現しています。世人のもとにあるかぎり、私は、いつでも他の誰かと置き換え可能な、匿名の「ひと」にすぎません。しかし不安のうちで、この置き換え可能性そのものが崩れ落ち、代わりの利かない、この私自身の存在が、剥き出しのまま、姿を現すのです。しかし、ここに、大きな逆説があります。この不安こそが、実は、現存在を、世人へと逃避することから引き戻し、自分自身の本来的なあり方へと、向き合わせる、積極的な契機になりうるのです。不安という、耐え難い気分こそが、私たちを「本当の自分」へと目覚めさせる、扉になりうるのです。
第七章 気遣い(ゾルゲ)――現存在の存在の全体構造
ここまで見てきた、世界内存在、頽落、不安といった、現存在のさまざまなあり方を、ハイデガーは、一つの言葉で言い表そうとします。それが、「気遣い」、ゾルゲです。この「気遣い」という概念をめぐって、ハイデガーは、『存在と時間』第四十二節で、興味深い典拠を持ち出しています。それが、古代ローマの文法学者ヒュギヌスが伝える寓話集の中に記された、「クーラ」の物語です。クーラとは、ラテン語で「気遣い」や「関心」を意味する言葉であり、この寓話では、それが擬人化された女神として登場します。伝えられている話によれば、女神クーラは、川を渡っているとき、粘土質の土を見つけ、思案しながら、それで人間の形をつくりあげます。そこへ、主神ユピテルがやってきたので、クーラは、自分がつくった形に、霊を吹き込んでくれるよう頼みます。ユピテルは、快くこれを承諾しますが、その出来上がったものに、自分の名前をつけようとしたクーラを、ユピテルはとどめ、自分の名前が与えられるべきだと主張します。そこへ、大地の女神テルスも現れ、その身体には自分が材料を提供したのだから、自分の名前が与えられるべきだと主張し、三者のあいだで争いが起こります。この争いを裁いたのが、土星の神サトゥルヌスでした。サトゥルヌスは、この生き物が死ぬときには、身体は大地に、霊はユピテルに返されるべきだが、この生き物が生きているあいだは、それを最初につくったクーラのものであるべきだ、という裁定を下します。ハイデガーは、この寓話を、単なる古代の逸話としてではなく、人間が生きている限り、その存在は「気遣い」に属し続けるという、ある種の存在論的な真理を、素朴な形で言い当てたものとして、読み解いています。ハイデガー自身、この寓話をめぐる注釈の中で、気遣いという主題が、アウグスティヌスの人間論の解釈や、アリストテレスの存在論の分析といった、みずからのそれまでの研究の積み重ねの中から浮かび上がってきたものであることにも、触れています。ラテン語のクーラという言葉には、もともと、何かに気をもみ、思い煩うという意味と、何かに献身し、心を尽くすという意味との、両方が込められていました。ハイデガーは、この語の二重の意味の重なりのうちに、現存在が、自分の身の回りの事物を気にかけながら、同時に、他者や自分自身のあり方にも心を配っている、という、気遣いの構造そのものが、すでに古代の言葉づかいの中に、素朴な形で先取りされていたと、見ているのです。気遣いは、三つの契機から成り立っています。一つ目は、すでに一定のあり方のうちに、いわば「投げ出されている」という事実性としての「被投性」、ゲヴォルフェンハイトです。私たちは、生まれる時代も、場所も、身体も、自分で選ぶことなく、気づいたときにはすでにこの世界の中に投げ出されています。二つ目は、まだ実現されていない自らの可能性へと向かって、自己を投げかけていく、「投企」、エントヴルフです。私たちは、被投性という与えられた条件の中で、それでも、これから先どう生きるかという可能性へと、自らを投げかけ続けています。三つ目が、先ほど見た、日常への頽落です。この三つの契機――すでに投げ出されている(被投性)、まだ実現していない可能性へと向かう(投企)、そしてその只中で日常に埋没する(頽落)――が組み合わさって、現存在という存在のあり方の全体を、時間的な構造として、あらかじめ示しているのです。気遣いは、現存在という存在者の、あらゆる個別の行動や態度に先立つ、存在そのものの構造だと、ハイデガーは位置づけています。この位置づけには、実は、近代哲学の巨人への、間接的な応答という側面があると、指摘されています。近代哲学の父とされる、ルネ・デカルトは、あらゆる確実な知の出発点として、「我思う、ゆえに我あり」、コギト・エルゴ・スムという命題を打ち立てました。デカルトにおいては、思考する主体、すなわち理性的な自己意識こそが、疑いえない、最も根源的な存在として置かれています。これに対して、ハイデガーは、そもそも人間は、世界から切り離された、純粋に理性的な思考主体として存在しているのではなく、それに先立って、すでに世界のただ中に投げ出され、さまざまな事物や他者と関わりながら、気遣いつつ存在している、という事実を、根本に据えようとしました。理性的に思考する自己という出発点そのものが、実は、気遣いという、より根源的な存在のあり方の上に、はじめて成り立つものだというわけです。言い換えれば、「我思う」という自己意識が立ち上がるよりも先に、私たちは、すでに世界の中で、何かを気にかけ、何かに心を配りながら存在している、ということになります。気遣いを、現存在のあらゆる行動や態度に先立つ構造として位置づけるハイデガーの議論は、こうして、デカルト以来の近代哲学が当然の前提としてきた出発点そのものを、問い直す試みでもあったのです。気遣いこそが、現存在という存在者の「存在」の意味を、あらかじめ、まるごと先取りして示している構造である、とハイデガーが位置づける所以も、ここにあります。理性による認識という、いわば派生的な営みの手前で、すでに気遣いという、より根源的な存在のあり方が働いているのだとすれば、現存在とは何かという問いに答えるためには、まず何よりも、この気遣いの構造そのものを、解き明かさなければならないことになるのです。ところで、ハイデガーは、この気遣いという構造を、決して漠然としたイメージのままにはしておきません。『存在と時間』第四十一節で、彼は、気遣いについて、次のような、一見すると難解な定式を与えています。「自己に先立って、すでに(世界の)内にありつつ、(世界内部的に出会う存在者の)もとにあるという存在」という言い回しです。ラテン語の構文を思わせるような、この込み入った言い回しは、しかし、よく見れば、これまで見てきた三つの契機を、そのまま一文に圧縮したものにほかなりません。「自己に先立って」とは、まだ実現していない可能性へと自らを投げかける、投企のことです。「すでに(世界の)内にありつつ」とは、気づいたときにはすでにこの世界に投げ出されている、被投性のことです。そして「(世界内部的に出会う存在者の)もとにある」とは、身の回りの事物や仕事に取り紛れて生きる、頽落のことにほかなりません。つまりこの定式は、投企・被投性・頽落という三つの契機が、ばらばらに並び立つ別々の出来事なのではなく、現存在という一つの存在のうちで、つねに同時に、分かちがたく働き続けている、という事態を、一つの文の中に凝縮して示したものだったのです。さらにハイデガーは、この気遣いが、現実には、けっして一様なあり方をするのではなく、大きく二つの様式へと枝分かれしていくことも、あわせて示しています。ひとつは、道具や事物といった、世界内部の存在者へと向けられる気遣い、「配慮的気遣い」、ベゾルゲンです。金槌を手に取り釘を打つ、机に向かって書き物をする、といった、これまで見てきた道具との関わりの多くは、この配慮的気遣いのあらわれにほかなりません。もうひとつは、他者、すなわち、自分と同じように現存在であるような存在者へと向けられる気遣い、「顧慮的気遣い」、フュルゾルゲです。他者は、金槌のように「使用する」対象ではなく、自分自身と同じく、みずからの存在を気遣いながら生きている存在者であるがゆえに、道具への配慮的気遣いとは、まったく異なる関わり方が、そこには求められることになります。ハイデガーは、この顧慮的気遣いについても、さらに二つの、対照的なあり方があることを指摘しています。ひとつは、他者が本来担うべき気遣いそのものを、いわば肩代わりして奪い取り、他者を、自分に依存させ、支配下に置いてしまう、「跳び込み奪い去る」顧慮的気遣いです。もうひとつは、他者に代わって何かを引き受けるのではなく、他者が、みずからの気遣いへと自由に立ち返れるよう、いわば一歩先んじて、その可能性を開いてやる、「先んじて自由にする」顧慮的気遣いです。後者にこそ、他者の存在をそのものとして尊重する、本来的な顧慮的気遣いのあり方があると、ハイデガーは位置づけています。
第八章 死へと関わる存在――もっとも固有な、追い越しえない可能性
現存在の存在を、気遣いという構造で捉えたハイデガーは、次に、現存在の「全体性」、ガンツハイトという、新たな問題に取り組みます。なぜ、あらためて「全体性」が問題になるのでしょうか。ここには、一つの、興味深い困難が横たわっています。現存在は、生きているかぎり、つねに「まだ実現していない」何か、ドイツ語で「アウシュタント」と呼ばれる、未済のものを抱え続けています。明日も、来年も、私たちには、まだ実現されていない可能性が、つねに残されています。だとすれば、現存在がその存在の「全体」を、余すところなく捉えられるのは、あらゆる可能性が出尽くした、死んだ瞬間をおいて他にない、ということになりそうです。ところが、ここに、逃れがたいパラドックスが潜んでいます。現存在が死を迎え、まさにその「全体」が完成したかに見えるその瞬間、現存在は、もはやこの世に存在していません。全体性が成立するはずのその瞬間には、それを経験し、引き受けるべき当の現存在自身が、すでにいなくなっているのです。全体になった瞬間に、それを見届ける主体が消えてしまう。これでは、現存在は、生きているあいだは全体になれず、全体になった瞬間には、もはや現存在ではなくなってしまう、という、八方塞がりの状況に陥ってしまいます。ハイデガーは、この行き詰まりを、死を、実際に到来するのを待つ「期待」、エルヴァルトゥングの対象として捉えるのではなく、自分に固有の、追い越しえない可能性として、あらかじめ、いま、ここで先取りして引き受ける、「先駆」、フォアラウフェンという態度によって、切り開こうとします。死へと先駆するとは、実際に死ぬことでも、死について思い悩み続けることでもありません。むしろ、自分がいつか必ず死ぬ、有限な存在であるという事実を、いまこの瞬間に、まるごと引き受けて生きる、ということです。こうして現存在は、実際に死を迎えることなく、生きながらにして、自らの存在の全体性を、先取りして捉えることができるようになるのです。この先駆は、同時に、現存在を、世人のうちに埋没した匿名のあり方から引き離し、他の誰でもない、この私自身へと、個別化していく契機でもあります。死を先取りして引き受けるとき、初めて現存在は、代わりの利かない、この私自身としての存在の可能性に、真正面から向き合うことになるのです。そして、ハイデガーは、こうした死への先駆を、死について思い悩み続ける、暗く陰鬱な態度としてではなく、むしろ、死という逃れられない必然性を、みずから引き受け直すことによって得られる、一種の「自由」として描いています。死には、いくつかの際立った特徴があります。まず、誰も肩代わりできない、自分だけのものであるという「没交渉性」。私が死ぬとき、それは誰か他の人が代わりに引き受けられるものではありません。次に、あらゆる可能性を無に帰してしまうという「追い越しえなさ」。死は、それより先にある可能性を持たない、最終的な可能性です。そして、必ず訪れるという「確実性」と、けれども、それがいつ訪れるかは決してわからないという「不確定性」です。ハイデガーは、多くの人が、死について、こう語っていることを指摘します。「人はいつか死ぬものだ。しかし、差し当たり、自分はまだそうではない」。この語り方によって、私たちは、死を、まるで他人事のように扱い、自分自身の死という、もっとも固有な可能性から、目を逸らし続けているのです。これが、「死への頽落」です。これに対してハイデガーは、死を、自分に固有の、追い越しえない可能性として、あらかじめ先取りして受け止める、「死への先駆」という態度を示します。これが、現存在が自らの存在の全体性を、本来的に引き受けるための、決定的な契機になるのだと、ハイデガーは論じます。こうした、死を正面から見据えることによって、初めて本来的な生が開かれるという、ハイデガーのこの発想は、のちの実存主義の哲学者たちにも、大きな影響を及ぼしていくことになります。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、みずからの実存主義を、ハイデガーとは異なるものだと位置づけつつも、人間が、あらかじめ定められた本質を持たず、自由と責任のうちで自分自身を選び取っていく存在であるという発想を、大きく展開させていきました。また、アルベール・カミュは、死や不条理といったテーマを、みずからの哲学の中心に据え、限りある生を、それでもどう引き受けるかという問いを、追求し続けました。死という、誰もが目を背けたくなる事実を、むしろ本来的な生き方への出発点として捉え直す、ハイデガーのこの逆説的な視点は、二十世紀の実存の哲学全体に、通底する問いとして、受け継がれていくことになるのです。ところで、ハイデガーは、「死ぬ」ということと、単に「終わる」ということとの違いについても、あえて立ち止まって論じています。私たちは、日常、実にさまざまな事柄について、「終わる」という言葉を使います。たとえば、降っていた雨が「やむ」、つまり終わるとき、雨は、それまで降らせていた雨粒を、単に降らせなくなるだけです。道が、行き止まりで「途切れる」とき、道は、それ以上、先へと続かなくなるだけです。あるいは、熟れていく果実が、やがて「熟しきる」とき、果実は、みずからの可能性を余すところなく実現し、いわば「完成」に至ります。ハイデガーは、こうした、さまざまな「終わり方」を、丹念に腑分けしたうえで、そのいずれもが、現存在が「死ぬ」ということを、適切に言い当ててはいない、と指摘します。現存在が死を迎えるということは、果実が熟しきるときのように、みずからの可能性を余すところなく実現し尽くして「完成」することでもなければ、雨がやんだり、道が途切れたりするときのように、それまで続いていた出来事が、単に「止む」ことでもありません。もし死が、果実の成熟のような「完成」であったとすれば、それは、現存在にとって、むしろ喜ばしい達成であるはずです。しかし、死は、そのようなものではありません。現存在が死ぬとは、むしろ、現存在が、みずからの存在の可能性そのものを、まるごと奪い取られてしまう、という事態にほかならないのです。生きているあいだ、現存在は、つねに、まだ実現されていない可能性へと開かれた存在でした。死は、この、可能性へと開かれているという、現存在の存在そのもののあり方を、根こそぎ取り去ってしまいます。だからこそハイデガーは、死を、「現存在の、端的な不可能性の可能性」という、逆説めいた言い方で言い表さざるをえなかったのです。こうした死の理解を踏まえて、ハイデガーは、本来的な死への存在と、非本来的な死への存在とを、あらためて対比しながら整理し直しています。非本来的な死への存在においては、現存在は、死を、いつか、しかし差し当たりはまだ自分には訪れない、遠い先の出来事として、漠然と「期待」するにとどまります。そこでは、死は、あくまで、世界のうちで生起する、ひとつの「事例」として、いわば他人事のように扱われ、それゆえ、確実に訪れるはずのその死が、いつ訪れるかわからないという不確定性は、むしろ、まだ大丈夫だという、根拠のない安心へと、すり替えられてしまいます。これに対して、本来的な死への存在においては、現存在は、死を、遠い先の出来事としてではなく、いま、この瞬間にも起こりうる、自分だけの、追い越しえない可能性として、正面から引き受けます。そこでは、死の確実性は、もはや、いつか訪れる出来事についての単なる事実の確認ではなく、いま、ここで、自分自身の存在の全体を、みずからのものとして引き受けるべき、切迫した呼びかけとして働くことになります。非本来的なあり方が、死を、世人の語る「誰もがいつかは死ぬ」という、匿名の一般論のうちに解消してしまうのに対して、本来的なあり方は、死を、他の誰でもない、この私だけが引き受けなければならない、代わりの利かない可能性として、みずからのものに取り戻すのです。
第九章 良心の呼び声と決意性――本来の自分を、どう取り戻すのか
死への先駆は、しかし、まだそれだけでは、抽象的な可能性にとどまってしまいます。では、現存在は、実際にどうやって、本来的なあり方へと立ち返るのでしょうか。ハイデガーは、これを、「良心」、ゲヴィッセンの分析を通じて、具体的に示していきます。一般に、「良心」という言葉から、私たちが思い浮かべるのは、善悪を判断し、悪しき行いを咎め、正しい行いを命じる、道徳的な声ではないでしょうか。西洋の伝統的な良心概念もまた、おおむね、こうした理解を共有してきました。良心とは、いわば、私たちの内なる裁判官であり、行為の善悪について知識を与え、判定を下す、道徳的な機能だと考えられてきたのです。たとえば、ハイデガーより一世紀以上前に活躍したドイツの哲学者イマヌエル・カントは、『人倫の形而上学』の中で、良心とは、人間の内にある「法廷」についての意識であり、そこでは、内なる裁判官によって、自分自身の行為が観察され、時に威嚇され、時に敬意を払われている、と論じています。良心を、善悪を裁く、内なる法廷になぞらえるこうした発想は、西洋の伝統の中で、長く受け継がれてきました。ところが、ハイデガーが示す良心は、こうした伝統的な理解とは、まったく異なるものです。良心の呼び声とは、外部から聞こえてくる、特定の内容を持った声ではありません。それは、世人へと頽落した自己に対して、現存在自身が、無言のうちに発する、沈黙の呼びかけなのです。この呼び声は、何か特定の行為を命じたり、禁じたりすることはありません。「これをせよ」「あれをするな」という、具体的な指図を一切含まない、ただ、世人へと埋没した自分自身から、本来の自分自身へと、現存在を呼び戻す、という、ただそれだけの働きをするのです。ところで、この良心の呼び声について、ハイデガーがことさらに強調する、逆説的な特徴があります。それは、この呼び声が語る内容、その中身を問おうとしても、実は何も見出せない、ということです。呼び声は、なにごとも語らない、何かを教えたり、説明したりすることは一切ない、にもかかわらず、その語らなさ、沈黙そのものが、呼び声のもっとも固有なあり方なのだ、とハイデガーは述べています。良心は、ひたすら沈黙のうちにおいてのみ、しかも無気味な仕方で語りかけてくる、という、この逆説的な言い方によって、ハイデガーは、良心を、なんらかの内容を伝達する情報源としてではなく、むしろ、沈黙をつうじて呼びかける、根源的な語りのあり方として、捉え直そうとしているのです。この呼び声の沈黙は、単に語るべきことがないという、消極的な欠如を意味するのではありません。むしろ、あらゆる饒舌な語りかけよりも雄弁に、現存在を、世人のもとから引き戻す力を持った、積極的な沈黙なのです。そして、先に見た不安と同じように、この沈黙の呼び声もまた、無気味な仕方で、私たちに迫ってきます。ふだん世人の声で語ることに慣れきっている現存在にとって、何も語らず、ただ沈黙のうちに呼びかけてくるこの声は、聞き慣れない、居心地の悪い、異質な響きを持って迫ってくるのです。ハイデガーによれば、この呼び声を発するのも、呼びかけられるのも、同じ現存在自身です。しかし、その声は、どこか、自分自身のものでありながら、自分にとって見知らぬ、よそよそしいものとして響いてきます。ふだん、世人の声で語ることに慣れてしまっている現存在にとって、この沈黙の呼びかけは、異質な、不気味な声として聞こえてくるのです。この呼び声に応えることを、ハイデガーは、「負い目がある」、シュルトという、独自の意味を与えた概念で説明します。ここで、興味深いのは、ドイツ語のシュルトという言葉そのものが持つ、多義性です。この言葉は、道徳的な「罪」を意味すると同時に、金銭的な「借金」、負債をも意味する言葉です。誰かに借りがある、返すべきものを負っている、という感覚が、この言葉の根底に流れています。ハイデガーは、この多義的な言葉を手がかりに、道徳的な罪の意識とは、まったく異なる、もっと根源的な「負い目」のあり方を示そうとします。現存在が、自らの存在の根拠を、みずから選び取ったのではない――生まれてくることも、生まれた条件も、自分では決められなかった――という、根源的な「無」を、抱えていることを意味します。私たちは、自分がどこに、いつ、どのような身体で生まれるかを、みずから選んだわけではないにもかかわらず、そこから出発して、自分自身の可能性を、引き受けていかなければなりません。この、みずから根拠づけたわけではない根拠を担いながら生きているという事態そのものが、ハイデガーの言う、根源的な負い目なのです。この呼び声を聞き取り、自らの本来的なあり方へと、覚悟を持って踏み出していく態度を、ハイデガーは「決意性」、エントシュロッセンハイトと呼びます。そして、この決意性が、先ほどの死への先駆と結びつくとき、「先駆的決意性」という、本来的な現存在のもっとも重要なあり方が示されることになります。もう一点、見落とされがちな重要な指摘があります。それは、「決意性」を意味するドイツ語エントシュロッセンハイトという語そのものが持つ、語源的なつながりです。この言葉は、これまでの議論のなかで繰り返し登場してきた「開示性」、エアシュロッセンハイト――現存在が世界や自分自身へと、すでに開かれてあるという、あの根本的なあり方――と、語根を同じくしています。この響き合いは、決して偶然の一致ではありません。ハイデガーは、決意性を、現存在がみずからを頑なに閉ざし、なにか一つの立場に固執することとしてではなく、むしろ、開示性の、もっとも際立った、固有のあり方として位置づけているのです。日常のなかで、私たちはしばしば、「決意する」ということを、迷いを断ち切り、視野を狭めて、一つの選択に自分を閉じ込めることだと考えがちではないでしょうか。しかしハイデガーの決意性は、これとはむしろ逆の方向を向いています。決意性とは、世人のもたらす、あいまいで見せかけの明るさから身を引き剥がし、そのつどの具体的な状況そのものへと、いっそう広く、いっそう鋭く、自分自身を開いていくことにほかならないのです。決意した現存在は、なにかに固く閉じこもるのではなく、むしろ、それまで見えていなかった状況の全体を、はじめてくっきりと見て取ることができるようになる、とハイデガーは述べています。ここで、あらためて、「本来性」、アイゲントリヒカイトという言葉について、これまでの議論を振り返っておきましょう。この言葉は、本書の中で、繰り返し、姿を変えながら積み重ねられてきました。世人に埋没し、空談や好奇心、曖昧さのうちに、自分自身を見失ってしまうあり方が、「非本来性」、ウンアイゲントリヒカイトです。これに対して、不安という気分をきっかけに、世人から引き剥がされ、自分自身の固有な可能性へと向き合うあり方が、「本来性」でした。死への先駆は、この本来性を、存在の全体性という観点から、さらに深めるものであり、そして今回見てきた、良心の呼び声と決意性は、この本来性を、具体的に、どうやって引き受けていくのかを示すものだったのです。非本来性が、けっして道徳的な悪や堕落を意味しないのと同様、本来性もまた、道徳的な善さを意味するわけではありません。それは、あくまで、現存在が、自分自身の存在と、どのような関係を取り結んでいるか、という、存在論的なあり方の違いに他ならないのです。
第十章 時間性――気遣いの意味としての時間
さて、本書の表題そのものである、「時間」の分析に入っていきましょう。ハイデガーは、気遣いという現存在の存在構造全体が、実は、「時間性」、ツァイトリヒカイトという、根源的な時間のあり方に支えられていることを示していきます。時間性は、三つの「脱自態」、エクスタシス――自己の外に立つあり方――から成り立っています。被投性に対応する「既在」、すでにあったこと。投企に対応する「到来」、まだ来ていない未来。そして頽落に対応する「現在」です。ここで重要なのは、この三つが、私たちが日常的に思い浮かべる「過去・現在・未来」という、一直線に並んだ時計の時間とは、まったく異なるあり方をしている、ということです。とりわけ、「到来」、つまり未来こそが、時間性全体を導く、もっとも根源的な契機であるという、ハイデガーの逆転の発想が、決定的に重要です。私たちは、これから先の可能性へと自らを投げかける(投企)からこそ、すでにあったこと(既在)を、意味あるものとして引き受け直し、いま目の前にあること(現在)に向き合うことができる、というのです。ハイデガーは、こうした、本来的な時間性――先駆的決意性を支える時間のあり方――と、非本来的な時間性――世人に頽落した、時計的な時間として理解される時間のあり方――とを、はっきりと対比させています。まず、瞬視、アウゲンブリックについて、もう少し詳しく見ておきましょう。先駆的決意性においては、現存在は、死へと先駆けることによって、自らのもっとも固有な可能性を引き受け、そのつど置かれている状況の中で、いま、なすべきことを、はっきりと見て取ります。この、本来的な仕方で開かれた「現在」こそが、瞬視と呼ばれるものです。瞬視は、時計の針が指し示す、無数の「今」のうちの、ひとつの点ではありません。むしろ、既在と到来とが、ひとつに凝集し、そのつどの状況全体が、いわば一挙に照らし出される、そうした出来事なのです。死へと向かう自らの有限性を直視することで、いま、この場において引き受けるべき責任が、他の何ものにも代えがたい仕方で、くっきりと浮かび上がってくる、とハイデガーは述べています。ここで、時間性の三つの脱自態について、もう少し踏み込んだ図式を示しておきましょう。実は、既在・到来・現在という、それぞれの脱自態には、本来的な様態と、非本来的な様態とが、それぞれに存在する、とハイデガーは論じています。まず「到来」について見てみましょう。非本来的な到来は、なにかの実現を、ただ受け身に待ち受ける「予期」、ゲヴェルティゲンという形を取ります。たとえば、明日の会議の結果や、来月の給料日を、漠然と待っているようなあり方です。これに対して、本来的な到来は、すでに見た「先駆」、すなわち、自分自身の死という、追い越しえない可能性へと、みずから進んで向き合っていく態度として現れます。次に「現在」について見てみましょう。非本来的な現在は、目の前にある事物や出来事に気を取られ、次々と関心を移していく「現前化」、ゲゲンヴェルティゲンとして現れます。これは、先に見た「好奇心」が、時間性のレベルで現れたものだと言えるでしょう。これに対して、本来的な現在は、いままさに見てきた「瞬視」、すなわち、そのつどの状況の全体が、一挙にくっきりと照らし出される、あの本来的な現在のあり方でした。最後に「既在」について見てみましょう。非本来的な既在は、自分がすでにどうあったかを、みずから見失ってしまう「忘却」、フェアゲッセンハイトとして現れます。これに対して、本来的な既在は、みずからの被投性、つまり、すでに投げ出されているという事実を、あらためて積極的に引き受け直す、「反復」、ヴィーダーホールングとして現れます。反復とは、過去をそのまま繰り返すことではなく、みずからが受け継いできた可能性を、いま、あらためて選び直す、という、能動的な引き受け直しなのです。このように、既在・到来・現在という三つの脱自態のそれぞれに、本来性と非本来性という、二つの様態が対応している、という、より緻密な図式を、ハイデガーは描き出しているのです。では、これに対して、私たちが日常、当たり前のように用いている、時計的な時間、いわゆる通俗的時間概念は、いったいどのようにして成立するのでしょうか。ハイデガーは、この問いを考えるにあたって、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの時間論に、あらためて目を向けています。アリストテレスは、『自然学』の中で、時間を「運動の、前と後に関しての数」として規定し、「今」を、過去と未来とを結びつける、一種の境界点として捉えました。この「今」が、次々に生成しては消えていく、その連続として時間を捉える見方は、その後の西洋の哲学的伝統の中で、時間についての標準的な理解として、脈々と受け継がれていくことになります。ハイデガーによれば、こうした見方は、時間を、均質で、方向を持たず、無限に連なる「今」の系列として、いわば空間化して捉えるものであり、時間性が本来もっている、既在・到来・現在という、脱自的な構造の豊かさを、覆い隠してしまっている、というのです。ハイデガーは、この「今の連続」としての時間理解を、あらためて「通俗的時間概念」と呼び、これが、西洋の形而上学の歴史全体を、暗黙のうちに規定し続けてきた、と論じています。世人へと頽落した現存在は、まさに、この通俗的な時間理解のうちに安んじて、みずからの本来的な有限性から、目をそらし続けている、とハイデガーは診断します。最後に、なぜ、この時間性の分析が、本書全体にとって、これほどまでに決定的な重みを持つのか、あらためて確認しておきましょう。本書の表題が、端的に『存在と時間』であることが、すでに物語っているように、ハイデガーの最終的な目標は、現存在の分析そのものではなく、「存在」一般の意味を問うことにありました。そして、その問いに答えるための手がかりとして、彼が見出したのが、まさに「時間」だったのです。存在という、あまりに漠然として捉えどころのないものが、いったいどのような「地平」において、意味を持つものとして、私たちに理解可能になるのか。ハイデガーの答えは、その地平こそが、時間性にほかならない、というものでした。現存在という、存在を理解する存在者の、その存在の仕方そのものが、時間性によって貫かれている以上、存在一般の意味もまた、時間という地平から、はじめて開示されうる、というわけです。こうして、現存在の実存論的分析は、より大きな問い、すなわち「存在一般の意味への問い」へと、まっすぐに接続されていくことになります。そして、いま見た、本来的な既在としての「反復」という契機は、実は、現存在の時間性が、けっして一人の個人の内面だけに閉じたものではない、ということを、示唆してもいます。私たちが受け継ぎ、選び直す可能性は、多くの場合、自分ひとりで作り出したものではなく、すでに一つの世代、一つの共同体、一つの伝統のなかで、あらかじめ形づくられてきたものだからです。ハイデガーは、本書のこのあとの篇において、この論点を、「歴史性」、ゲシヒトリヒカイトという、新たな主題へと展開していく予定であることを、予告しています。現存在は、みずからに固有な「宿命」、シックザール――みずからの決意性によって引き受けられる、この私自身の運命――を持つと同時に、他者たちとの共同存在のうちで、一つの世代や共同体がともに歩む、より大きな「運命」、ゲシック――ハイデガーが「民族の生起」とも呼ぶ、共同体全体の歴史的な歩み――にも、あらかじめ組み込まれている、とハイデガーは論じることになります。私たちの一つひとつの決意は、けっして真空の中で下されるのではなく、すでに、ともに世界内存在している他者たちとの関わりのなかで、あらかじめ方向づけられている、というのです。このように、個人の時間性の分析から出発した『存在と時間』の議論は、やがて、世代や伝統、共同体の歴史という、より大きな地平へと開かれていくことになります。
第十一章 未完の書物――なぜ『存在と時間』は、完結しなかったのか
ここまで、現存在の分析を、駆け足で辿ってきましたが、実は、1927年に刊行された『存在と時間』は、当初の構想の、ごく一部にすぎませんでした。当初の構想では、本書は、二部構成、それぞれが三篇から成る、全六篇の壮大な書物になるはずでした。しかし、実際に公刊されたのは、第一部の、最初の二篇のみです。残された、第一部第三篇「時間と存在」――現存在の分析から、存在そのものの意味へと、いよいよ迫っていくはずだった部分――そして、カント、デカルト、アリストテレスにまで遡り、西洋存在論の歴史そのものを、時間という観点から徹底的に解体し直す、第二部――これらは、ついに、公刊されることがありませんでした。未完に終わった経緯について、もう少し、歴史的な背景に踏み込んでみましょう。当時ハイデガーは、マールブルク大学の員外教授という立場にありましたが、正教授への昇任をめぐっては、目立った業績、とりわけまとまった著作がないことを理由に、人事を担当する委員会や、ベルリンの文部当局から、たびたび疑問の声が上がっていた、と伝えられています。こうした外的な圧力の中で、ハイデガーは、なかば完成したにすぎない草稿を、大急ぎで公刊せざるを得なかった、というのが実情だったようです。実際、この『存在と時間』の公刊によって、ハイデガーは、同じ1927年のうちにマールブルク大学の正教授へと昇任し、さらに翌1928年には、定年退官したフッサールのたっての指名によって、その後任として、フライブルク大学へと招かれることになりました。つまり本書は、哲学的な探求の書であると同時に、当時のハイデガー自身の、大学人としてのキャリアを大きく左右する、きわめて実際的な意味も帯びていた文書だった、というわけです。なぜ、未完に終わったのでしょうか。この問いをめぐっては、複数の解釈があります。一つは、現存在の分析という方法そのものの限界に、ハイデガー自身が突き当たった、とする説です。もう一つは、その後の思想的な転回、いわゆる「転回」、ケーレによって、問題設定そのものが変容していった、とする説です。後年、ハイデガー自身は、この転回について、どのように語っていたのでしょうか。1946年に発表された『「ヒューマニズム」について』などの、後期の著作の中で、ハイデガーは、みずからの思索におけるこの転回を、振り返っています。それによれば、公刊されなかった第一部第三篇「時間と存在」は、まさにこの転回を、形而上学の伝統的な言葉づかいのままでは、うまく語りきることができなかったために、公刊を断念せざるを得なかった、と説明されています。前期の『存在と時間』が、現存在という存在者の分析から出発して、存在の意味へと迫ろうとする、いわば人間の側から存在へと向かう道筋を辿っていたのに対し、後期のハイデガーは、むしろ、存在そのものが、みずからを開き示す出来事の側から、人間の本質を捉え直そうとする、逆向きの道筋へと、その思索の重心を移していくことになります。あわせて、体系的な論文というよりも、詩人ヘルダーリンの言葉に、独自の思索の手がかりを求めていくようになったことも、この転回に付随する、よく知られた特徴です。この、未完という事実そのものが、後世の哲学者たちに、豊かな解釈の余地を残すことにもなりました。たとえば、フランスの哲学者ジャック・デリダは、1960年代に行った講義の中で、『存在と時間』を丹念に読み解きながら、本書が、歴史性を主題とする第七十四節のあたりを境に、いわば「息切れ」を起こし、そのまま未完のうちに留め置かれてしまった、と指摘しています。デリダは、この未完成という出来事そのもののうちに、現存在という、なお人間的な主観性の圏内に留まり続ける概念によっては、存在そのものを十全に語りきることができない、という、本書の企て自体に内在する、ある種の限界を読み取ろうとしました。そして、こうしたデリダの読解は、のちに彼自身が「脱構築」、デコンストリュクシオンと呼ぶことになる、独自の哲学的方法を鍛え上げていく上での、重要な出発点のひとつともなった、と伝えられています。この講義は、のちに、デリダの没後、『ハイデガー――存在の問いと歴史』として公刊され、今日でもなお、読み継がれています。この書物が、実際にどのように世界へ広まっていったのかについても、もう少し触れておきましょう。フランスでは、1938年、哲学者アンリ・コルバンが、『形而上学とは何か』という表題のもとに、『存在と時間』の一部――死への先駆をめぐる第五十二節末尾から第五十三節にかけての箇所を含む――を含む、ハイデガーの著作の抄訳を、ガリマール社から刊行しました。ハイデガー自身の了解のもとに進められたこの翻訳は、当時のフランスの知識人たちに広く送られ、大きな反響を呼んだと伝えられており、のちにサルトルらが実存主義を展開していく、重要な足がかりの一つになったとされています。日本における受容もまた、早い時期から始まっていました。京都学派の哲学者、九鬼周造は、ヨーロッパ留学中にハイデガー自身のもとで学び、その講義に出席していたと伝えられており、二人のあいだでは、日本の芸術や、日本の詩の言葉の本質をめぐって、直接言葉を交わす機会もあったようです。また、倫理学者の和辻哲郎は、1927年のドイツ留学中に、刊行されたばかりの『存在と時間』を読み、そこで示された「世界内存在」という概念には触発されつつも、空間性の分析があまりに手薄ではないか、という疑問を抱いたと伝えられています。この疑問を出発点に、和辻は、みずからの主著『風土』の中で、人間が気候風土という具体的な環境のうちに、すでに投げ出されて存在しているという「風土内存在」の視点を、独自に打ち出していくことになりました。いずれにせよ、未完成であったにもかかわらず、あるいは、未完成であったからこそ、この書物は、その後の哲学に、途方もない影響を与え続けることになりました。
【独自の視点】このチャンネルとしての批判的検討
さて、ここで一つ、避けて通れない事実に触れておかなければなりません。ハイデガー自身の、政治的な履歴です。1933年4月21日、ハイデガーは、フライブルク大学の学長に選出されます。そして、その10日後の5月1日、ナチ党に入党し、同月27日には、学長就任演説「ドイツ的大学の自己主張」を行いました。この演説の中でハイデガーは、大学の「精神的な指導性」を掲げつつ、学問を、労働奉仕・国防奉仕・知の奉仕という三つの「奉仕」の一つとして位置づけ、大学というものを、民族共同体、フォルクスゲマインシャフトに奉仕させるべきものとして語った、と伝えられています。興味深いことに、この演説そのものの中には、「国民社会主義」という言葉や、ヒトラーの名前は、一度も登場しません。それでもこの演説は、大学の自治と学問を、時代の政治的な要請のもとに従属させるものとして、今日まで厳しく批判され続けています。翌1934年に学長を辞任したものの、1945年の敗戦まで、党籍を離れることはありませんでした。もっとも、この辞任の背景には、ハイデガーが自ら任命した学部長たちの中に、党員ではない者が含まれており、その罷免を、彼が拒んだという事情があった、とも伝えられています。学長としてのハイデガーが、必ずしも党内強硬派の思惑どおりに動く人物ではなかったことを示す挿話として、しばしば引用される事実です。この学長在任期間に、ハイデガーと、彼の師にあたる現象学者エトムント・フッサールとの関係も、決定的に変化したと伝えられています。フッサールは、ユダヤ系の哲学者でした。学長となったハイデガーのもとで、フッサールは大学図書館の利用資格を停止されました。これは、当時のナチス政権下で、公務員からユダヤ人を排除する法律が、大学という場にも適用されていく流れの中で生じた出来事であった、とされています。フッサール自身が、この数週間の出来事は自分の存在の最も深い根底を揺るがした、という趣旨の言葉を書き残した、とも伝えられています。さらに、『存在と時間』は、もともと1927年の初版において、フッサールへの献辞、敬愛と友情を込めて、という趣旨の言葉を掲げていましたが、1941年の版では、版元ニーマイヤー社の意向もあって、この献辞が本文冒頭から削除されました。もっとも、本文38ページの脚注には、フッサールへの謝辞そのものは、なお残されていたとも言われています。そして敗戦後の版では、この献辞は、もとの形に復元されました。この一連の経緯は、ハイデガーという哲学者の、師への敬意と、時代の圧力への迎合とが、複雑に絡み合った跡として、今なお読み解かれ続けています。もう一つ、触れておかなければならない関係があります。ハンナ・アーレントという、ユダヤ系の哲学者との関係です。1924年、当時35歳で妻帯者であったハイデガーは、マールブルク大学で、18歳の学生であったアーレントと出会い、二人は、秘められた関係を結んだと伝えられています。この関係は、1928年頃までに終わりを迎え、その後、ハイデガーが1933年に学長に就任し、アーレント自身もユダヤ人としてドイツを追われる中で、二人の交流は、いったん途絶えました。ところが、戦後の1950年、フライブルクで二人は再会し、関係を修復したと伝えられています。それだけでなく、アーレントは、その後、ハイデガーの著作をアメリカへ紹介する役割を担い、彼の戦後の名誉回復に、少なからず力を尽くしたとも言われています。彼女自身、ナチズムによって祖国を追われた立場でありながら、なぜハイデガーを擁護し続けたのか、この点は、今日に至るまで、多くの研究者や読者を悩ませる、複雑な問いであり続けています。アーレント自身は、後年、ハイデガーの政治的な判断力の欠如については、批判的な見方を崩さなかった一方で、その哲学的な独創性そのものは、生涯にわたって高く評価し続けた、とも言われています。敗戦後のハイデガーは、非ナチ化のための審査を受けることになりました。フランス占領軍のもとに置かれた審査委員会は、長い審議の末、ハイデガーを教職から追放するという判断を下し、1945年から、大学での教育活動を、全面的に禁じられます。1949年になって、ようやく彼は「同調者」、ミットロイファーという、比較的軽い分類を受け、1951年に教職禁止処分が解除されました。1953年には名誉教授の地位を得たものの、かつての正教授としての講座に、二度と復帰することはありませんでした。さらに、2014年以降に公刊された『黒表紙のノート』、シュヴァルツェ・ヘフテによって、ハイデガーが、私的な手記の中で、反ユダヤ主義的な言辞を残していたことが明らかになり、これが現在に至るまで、大きな論争を呼び続けています。この事実を踏まえたうえで、『存在と時間』という書物そのものの哲学的な内容と、著者のこうした政治的・思想的な履歴とを、どう関係づけて読むべきか、という問いは、いまなお決着のついていない、困難な問いです。研究者たちの立場は、大きく分かれています。一方には、ハイデガーの哲学そのものは、彼個人の政治的な過ちから、切り離して評価できる、あるいは切り離して評価すべきだ、とする立場があります。他方には、フランスの哲学者エマニュエル・フェイのように、ハイデガーの哲学的な思考そのものの内部に、国民社会主義的な発想が、すでに深く組み込まれていた、と主張する、より根本的な批判の立場もあります。フェイは、未公刊のセミナー記録なども根拠に、ハイデガーの哲学を、単なる時代への迎合ではなく、国民社会主義を哲学の内部へと導き入れる営みそのものであった、と論じ、大きな論争を巻き起こしました。この論争に、まだ最終的な決着はついていません。なお、ハイデガーが練り上げた、存在、時間性、気遣いといった存在論的な概念そのものは、サルトルの実存主義から、その後のポスト構造主義の思想家たちに至るまで、政治的な立場を大きく異にする、実に多様な思想家たちに影響を与え続けてきました。この事実もまた、彼の哲学と、彼の政治的な選択との関係を、単純には割り切れないものにしています。哲学的な側面での批判的検討にも触れておきましょう。現存在の分析が、実は、特定の歴史的・文化的な立場、二十世紀初頭のドイツの、しかも一貫して男性的な主体を、あたかも人間一般の普遍的なあり方であるかのように語ってしまっているのではないか、という指摘があります。また、哲学者エマニュエル・レヴィナスは、より根本的な批判を展開しました。ハイデガーの現存在分析における他者との関係が、終始「共存在」という枠組みでしか描かれず、他者の他者性・外部性そのものを、現存在の存在論的な全体性のうちへと、包摂し、還元してしまっているのではないか、という批判です。それでもなお、なぜこの書物が、今日に至るまで読み継がれているのでしょうか。技術と存在の関係、環境問題や気候変動が突きつける「地球という有限な世界」への問い、SNS時代における「世人」への埋没といった、現代的な問題群を考えるための、色褪せない手がかりを、この書物は与え続けているのです。
【まとめ】:なぜ、私たちは「本来の自分」から逃げ続けるのか
今日は、マルティン・ハイデガーの『存在と時間』を、じっくりと読み解いてきました。私たちは日常、世人へと頽落し、自分自身の死という、もっとも固有な可能性から、目を逸らして生きています。しかし、不安という気分をきっかけに、良心の呼び声を聞き取り、死への先駆的な決意性を持つことによって、初めて「本来の自分」として、時間を生きることができるのではないか、これが、本書全体を貫く、一つの問いかけでした。同時に、私たちは今日、この書物の著者であるハイデガー自身が、ナチズムに加担した過去を持ち、その思想的な履歴が、いまなお厳しく問われ続けているという事実からも、目を逸らすわけにはいきません。優れた哲学的な洞察と、政治的な過ちとが、一人の人間のうちに同居しうるという事実そのものが、私たちに、重い問いを突きつけているのではないでしょうか。哲学的な思索の鋭さと、政治的な判断の誤りとが、なぜ同じ一人の人間のうちで両立してしまったのか、その問いに、簡単な答えを出すことはできません。けれども、だからこそ私たちは、優れた思想を、無批判に受け入れるのではなく、その光と影の両方を見据えながら、読み続けていく必要があるのではないでしょうか。『存在と時間』という書物は、哲学と人生とを、切り離さずに問い続けることの難しさと、その意義とを、同時に教えてくれているのかもしれません。SNSやニュースが絶え間なく提供する「みんなの意見」に埋没し、自分自身の頭で考えることを、避けてしまってはいないでしょうか。自分自身の「死」について、私たちは、ふだんどれだけ真剣に向き合っているでしょうか。

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