今回も哲学書の解説シリーズです。今回は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を取り上げます。
- はじめに――「哲学の全ての問題を、私は解決した」
- 第一章 ヴィトゲンシュタインという人物――富と悲劇の家に生まれて
- 第二章 戦場で書かれた哲学書――第一次世界大戦と捕虜収容所
- 第三章 「世界とは、成立していることがらの総体である」――像理論
- 論理そのものの秘密――トートロジーと必然性
- 第四章 語りうることと、語りえぬこと
- 「私は、私の世界である」――独我論の奇妙な帰結
- 第五章 梯子を登り、そして投げ捨てる――本書の自己否定的な結び
- 第六章 「哲学の全ての問題を解決した」――出版をめぐる確執
- 第七章 富を捨てた哲学者――小学校教師、そして庭師へ
- 第八章 自らの思想を覆した哲学者――後期哲学への転回
- 【独自の視点】このチャンネルとしての批判的検討
- 【まとめ】語りえぬものの、その先へ
はじめに――「哲学の全ての問題を、私は解決した」
哲学書の読解シリーズ、今日で百二十九冊目です。前回は、バートランド・ラッセルの『哲学の問題』を取り上げました。あの本が刊行される少し前、1911年のケンブリッジに、ラッセルのもとを一人の風変わりな青年が訪ねてきます。無名の、しかしただならぬ気配をまとったこの青年を、ラッセルは後年、自分がこれまで出会った学生の中でも、もっとも情熱的で、もっとも深く物事を考え抜く人物だったと振り返っています。今日は、この人物と、彼がただ一冊、生きているあいだに世に出した哲学書を取り上げます。彼は、ヨーロッパでも屈指の富豪の家に生まれながら、その莫大な遺産をすべて手放しました。そして、たった一冊の薄い本を書き上げたのち、「哲学の問題はもうすべて解決した」と言い切り、哲学そのものをやめてしまいます。大学に残るのではなく、彼が選んだのは、オーストリアの片田舎の、小学校の教師という道でした。この人物こそ、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。彼が生涯にただ一冊だけ、生きているあいだに世に問うた哲学書――それが、今日読み解いていく『論理哲学論考』です。わずか七十五ページほどの、薄い本です。けれどもこの本には、世界と言語の関係をめぐる壮大な理論、論理そのものの正体をめぐる考察、そして最後には、自分自身が語ってきた言葉さえも投げ捨ててしまうという、驚くべき自己否定が詰め込まれています。今日は、この一冊を、ヴィトゲンシュタインという人物の数奇な生涯とともに、じっくりと読み解いていきましょう。
第一章 ヴィトゲンシュタインという人物――富と悲劇の家に生まれて
ヴィトゲンシュタインは、1889年、ウィーンで生まれました。父カール・ヴィトゲンシュタインは、製鉄業で財を成し、当時のヨーロッパでも屈指の富豪と言われた人物です。ヴィトゲンシュタイン家の屋敷には、当代一流の音楽家たちが出入りし、家族ぐるみで音楽会を開くほどの、豊かな文化的環境がありました。ルートヴィヒは、この八人きょうだいの末っ子として生まれ落ちます。けれども、この裕福な一族は、同時に、重い影を抱えてもいました。四人の兄のうち、三人までもが、自ら命を絶っているのです。長兄ハンス、次兄ルドルフ、三兄クルト。芸術や学問に非凡な才能を示しながら、厳格な父の期待に押しつぶされていったと伝えられる兄たちの生涯を思うとき、ヴィトゲンシュタイン自身がのちの人生でたどることになる、常識から外れた選択の数々にも、また違った陰影が見えてくるように思われます。もとは航空工学を学ぶために、イギリスのマンチェスターに渡っていたヴィトゲンシュタインでしたが、プロペラの設計に取り組むうちに、その計算の土台にある、数学そのものの基礎という、より根本的な問題へと関心を移していきます。そして1911年、ケンブリッジのバートランド・ラッセルのもとを訪ねることになるのです。無名の青年の中に、並外れた論理的才能を見出したラッセルは、以後、この青年を惜しみなく後押ししていくことになります。このケンブリッジ時代、ヴィトゲンシュタインがもっとも深く心を通わせた友人の一人が、デイヴィッド・ピンセントという青年でした。二人は連れ立ってアイスランドやノルウェーを旅し、哲学だけでなく、音楽や日々の暮らしについても、率直に語り合ったと伝えられています。神経質で、完璧主義的とも言われるヴィトゲンシュタインが、心から気を許せた、数少ない相手の一人だったのでしょう。のちに完成する『論理哲学論考』が、このピンセントの追悼として捧げられることになるのには、痛ましい理由があります。それが、次の章でお話しする出来事です。
第二章 戦場で書かれた哲学書――第一次世界大戦と捕虜収容所
1914年、第一次世界大戦が勃発すると、ヴィトゲンシュタインは、徴兵を免除されうる持病を抱えていたにもかかわらず、みずから志願して、オーストリア軍に加わります。一方、親友ピンセントは、戦時中、イギリスでテスト飛行の任務についていましたが、1918年、その飛行中の事故によって命を落とすことになります。戦争は、ヴィトゲンシュタインから、もっとも大切な友人の一人を奪っていったのです。前線での勤務のあいだも、ヴィトゲンシュタインは思索の手を止めることはありませんでした。絶えずノートに、論理と世界をめぐる考察を書き綴り続けていたのです。極限状況の中で、死や人生の意味について、みずからに問いかけるような記述も、このノートには残されていると言われています。危険な任務における勇敢さから、勲章を受けたとも伝えられています。そして1918年、ヴィトゲンシュタインはイタリア軍の捕虜となり、モンテ・カッシーノ近郊の捕虜収容所に送られることになります。従軍中に書き溜めてきたノートをもとに、捕虜となる直前の1918年八月には、すでに草稿の大枠がまとまっていたとされ、その後の捕虜生活の中で、これが最終的にまとめ上げられていきます。こうして生まれたのが、ヴィトゲンシュタインが生涯でただ一冊、生きているあいだに刊行することになる著作――『論理哲学論考』の原稿でした。戦場と、捕虜収容所という、極限の状況の中で、そして親友を失った悲しみを抱えながら書き上げられた哲学書。まずは、その中身に踏み込んでいきましょう。
第三章 「世界とは、成立していることがらの総体である」――像理論
『論理哲学論考』は、非常に独特の文体で書かれています。全体が、小数点によって階層づけられた、短い命題の連なりとして構成されているのです。たとえば「1」という最上位の命題があり、それを説明する「1.1」が続き、さらにそれを掘り下げる「1.11」が続く、という具合です。本書は、こんな一文から始まります。「世界とは、成立していることがらの総体である」。簡潔でありながら、力強いこの一文が、本書全体の出発点です。ここから展開されるのが、ヴィトゲンシュタインの中心的な着想、「像理論」と呼ばれる考え方です。言語における一つひとつの命題は、現実の事態を写し取る、いわば「像」のようなものだ、というのです。たとえば、「猫がマットの上にいる」という一つの文を考えてみましょう。この文は、猫という対象と、マットという対象が、「上にある」という関係で結びついている、という事態そのものを、いわば絵のように写し取っています。命題を構成する要素、つまり「名前」と、現実を構成する要素、つまり「対象」とは、ちょうど地図の記号と、実際の地形との関係のように、一定の構造を保ったまま対応している。ヴィトゲンシュタインは、これ以上分解できない、もっとも単純な事態を写し取る命題を「要素命題」と呼び、私たちが日常使っている複雑な命題は、これらの要素命題を、論理的に組み合わせることによって作られていると考えました。世界と言語とが、同じ論理的な構造を共有しているという、壮大な見取り図が、ここに描かれているのです。この着想がどこから生まれたのかについて、よく語られる逸話があります。従軍中、ヴィトゲンシュタインは、ある雑誌の記事を読んでいました。パリのある裁判で、自動車事故の状況を、模型の車や人形を使って再現している、という記事です。模型の配置が、実際に起きた事故という「事実」を写し取っているのと同じように、私たちの言葉もまた、模型のように現実を写し取っているのではないか――このひらめきの瞬間は、ヴィトゲンシュタイン自身がのちに友人に語ったとも伝えられており、実際に彼自身の従軍中のノートにも、パリでの自動車事故が模型で示されている、という趣旨の記述が残されています。細部まですべてが確認されているわけではありませんが、着想の核となる部分は、本人の証言とノートによって、かなり確かに裏付けられている逸話だと言えるでしょう。
論理そのものの秘密――トートロジーと必然性
像理論は、もう一つ、思いがけない方向へと展開していきます。ヴィトゲンシュタインは、論理学や数学の命題が、なぜ「絶対に正しい」と言い切れるのか、という問いに取り組むのです。たとえば、「今日、雨が降っているか、降っていないかのどちらかだ」という命題を考えてみてください。この命題は、実際の天気がどうであれ、常に真です。ヴィトゲンシュタインは、こうした、常に真である命題を「トートロジー」、恒真命題と呼びます。そして彼は、驚くべきことを言います。トートロジーは、常に真であるからこそ、現実の世界について、実は何も語っていないのだ、と。天気がどうであれ真だということは、この命題を聞いても、私たちは今日の天気について、何一つ新しい情報を得ていないということだからです。論理学の命題は、すべてこのトートロジーであり、数学の命題も、これと同じように、絶対的に確実である代わりに、世界そのものについては、何も教えてくれない。数学の計算というものも、ヴィトゲンシュタインにとっては、世界について何か新しい真理を発見する営みというよりも、すでに記号の中に埋め込まれている関係を、ただ機械的に導き出していく作業にすぎませんでした。ヴィトゲンシュタインは、この立場をさらに徹底させます。私たちが「必然的だ」と感じるものは、突き詰めれば、すべて論理的な必然性であり、それ以外に、事実そのものが持つ特別な必然性というものは、存在しないのだ、と。論理の法則は、世界の外側から世界を縛りつける、特別な真理なのではありません。それは、私たちが言葉を使うときに、そもそも従わざるを得ない、記号のシステムそのものが持つ、いわば骨格のようなものにすぎない。哲学的な大発見というよりも、私たちが言葉を使うとき、すでに暗黙のうちに従っている仕組みを、あらためて明るみに出してみせる。これが、ヴィトゲンシュタインの、論理そのものへの向き合い方でした。
第四章 語りうることと、語りえぬこと
この像理論からは、もう一つ、本書の核心をなす主張が導かれます。ある命題が意味を持つのは、それが現実のありうる事態を写し取っている場合に限られる、という主張です。この基準に照らして考えると、私たちが人生の中で本当に大切だと感じている、倫理や美、そして人生の意味といった問題は、いったいどうなるでしょうか。「人を殺すことは悪い」という文を考えてみましょう。これは、「猫がマットの上にいる」というような、事実を写し取った文とは、根本的に性格が異なります。世界のどこを探しても、「悪さ」という性質そのものを、対象として見つけ出すことはできないからです。これらは、そもそも「事実」について語る言明ではありません。ですから、ヴィトゲンシュタインの基準に従えば、厳密には、語ることができないということになってしまうのです。これは、驚くべき結論です。しかし、ヴィトゲンシュタインは、これらの問題を単に無価値だと切り捨てたわけではありませんでした。語ることはできなくても、それは、行為や態度を通じて「示される」ことがあるのだ、と彼は考えます。「語ること」と「示すこと」――この二つを分ける、鋭い区別です。倫理や美、そして彼が「神秘的なもの」と呼んだ領域こそ、本当に重要でありながら、言葉にすることはできないものだという、逆説的な位置づけが、ここに与えられているのです。ヴィトゲンシュタインは、倫理を「超越論的」なものだとも表現しています。世界の中にある一つの事実としてではなく、世界全体をどう見るか、という態度そのものにかかわるものだ、という考え方です。本書の中で彼は、「倫理と美とは一つである」という、印象的な一節も残しています。善く生きるということと、美しいものを見出すということは、根っこの部分でつながっている――言葉で説明し尽くすことはできなくても、私たちがそれを”感じ取る”ことはできる、という直観が、ここには込められているように思われます。
「私は、私の世界である」――独我論の奇妙な帰結
そして本書は、もう一つ、大胆な主張へと踏み込んでいきます。ヴィトゲンシュタインは、こう書きます。「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」。私が理解し、語ることのできる言語の範囲が、そのまま、私にとっての世界の範囲を決めてしまう、というのです。この考えを突き詰めていくと、ある奇妙な場所へとたどり着きます。この世界は、結局のところ、私の意識の中にしか存在しないのではないか、という「独我論」の立場です。ところがヴィトゲンシュタインは、ここでもう一段、逆説的な結論を示します。独我論を、中途半端にではなく、とことん徹底して考え抜くと、実はふつうの実在論――世界は私の意識とは独立して存在するという立場――と、同じ地点に行き着いてしまうのだ、と言うのです。彼はこう考えます。「私」というものは、この世界の中にある、数ある対象の一つとして見つけ出すことはできません。ちょうど、目そのものは、自分が見ている視野の中には決して映り込まないのと同じように、「私」は、世界の内側にある一つの点としてではなく、世界全体の”限界”として、いわば世界の外側の縁に位置している。世界のすべてを写し取るだけの言語を持つ「私」は、結局、世界そのものと同じ大きさにまで広がってしまい、独我論と実在論という、対立していたはずの二つの立場の境目そのものが、消えてなくなってしまうのです。突き詰めれば突き詰めるほど、対立が解消されてしまうという、いかにもこの本らしい逆説が、ここにも表れています。
第五章 梯子を登り、そして投げ捨てる――本書の自己否定的な結び
そして、本書は、終盤にさしかかると、さらに驚くべき自己評価へとたどり着きます。ヴィトゲンシュタインは、ここまで自分が積み重ねてきた命題そのものが、厳密に言えば「無意味」であると、みずから告白するのです。哲学の正しいやり方とは、本当は、自然科学が語ることのできる事柄だけを語り、誰かが形而上学的な何かを語ろうとするたびに、その人が使っている記号に、実は意味を与えられていないのだと指摘してあげることなのだ、と彼は言います。ここで用いられる有名な比喩が、「梯子」のたとえです。本書の命題は、それを使って高いところに登りきったなら、もはや投げ捨てるべき梯子のようなものだ、というのです。梯子を使って目的の高さに達したあとは、その梯子自体は、もう必要なくなります。この本の序文でヴィトゲンシュタイン自身が語っていた言葉も、思い出されます。「およそ語られうることは、明晰に語られうる。そして、論じえぬことについては、沈黙せねばならない」。そして本書全体を締めくくる、もっとも有名な一文が、こう告げます。「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」。哲学書でありながら、自分自身がここまで語ってきた言葉の意味そのものを、最後に取り消してしまう。前代未聞とも言える構成が、ここに完成しているのです。
第六章 「哲学の全ての問題を解決した」――出版をめぐる確執
捕虜生活を終えたヴィトゲンシュタインは、この一冊によって、哲学が長年抱えてきた根本的な問題は、すべて解決されたと確信していました。まず彼が原稿を送ったのは、記号論理学の大先達、ゴットロープ・フレーゲでした。ところがフレーゲからの返事は、本の構成や、細かな用語の使い方をめぐる、的外れとも言える質問ばかりで、この本が本当に目指しているものが、ほとんど伝わっていないようでした。ヴィトゲンシュタインは、ラッセルへの手紙の中で、フレーゲは自分の仕事の一言も理解していない、と嘆いたとも伝えられています。もっとも尊敬していたはずの先達にすら理解されないという、最初のつまずきです。そして、この難解きわまりない原稿を、なかなか引き受けてくれる出版社も見つかりません。師であるラッセルが、英訳版に序文を寄せたことで、ようやく1921年から翌22年にかけて、出版にこぎつけることになります。しかし、ここでもう一つ、意外な出来事が起こります。ヴィトゲンシュタイン自身は、ラッセルのこの序文が、自分の意図を正しく理解していないと、強い不満を抱いていたのです。もっとも身近な理解者であったはずの師とのあいだにさえ、深い断絶が生まれてしまう。「哲学のすべての問題を解決した」という確信の裏側で、その確信を誰にも正しく理解してもらえないという、孤独な状況が、ヴィトゲンシュタインを待っていたのです。
第七章 富を捨てた哲学者――小学校教師、そして庭師へ
実は、この出版をめぐる苦闘のさなか、ヴィトゲンシュタインは、すでに驚くべき決断を下していました。莫大な遺産を相続する立場にあった彼は、その財産のほとんどを、きょうだいたちに譲り渡してしまうのです。「哲学の問題はもう解決した」と確信した彼は、大学に残る道を選びませんでした。彼が選んだのは、オーストリアの片田舎の、小学校の教師という仕事でした。山間の村々を転々としながら、六年ほど、この教師の仕事を務めます。当時、彼は生徒たちのために、みずから簡単な綴り字辞典を編み、出版までしています。厳格を極めた大哲学者が、片田舎の小学生のために、地道な辞典づくりに情熱を注いでいたというのも、いかにも彼らしい徹底ぶりです。けれども、その指導はあまりに厳格すぎたようで、生徒に体罰を加えたとされる事件をきっかけに、ヴィトゲンシュタインはみずから教職を辞することになります。その後、彼は修道院の庭師として働き、修道士になることさえ考えたと伝えられています。ヨーロッパ屈指の富豪の家に生まれ、ケンブリッジで論理学の最先端を切り開いた哲学者が、哲学からもっとも遠い場所を、みずから選び取っていた。これもまた、ヴィトゲンシュタインという人物の、一筋縄ではいかない生き方を物語っています。
第八章 自らの思想を覆した哲学者――後期哲学への転回
けれども、この物語には、まだ続きがあります。1929年、友人フランク・ラムゼイらの説得を受けて、ヴィトゲンシュタインはケンブリッジに戻り、哲学の世界に復帰することになるのです。復帰にあたって、彼はすでに刊行されていた『論理哲学論考』そのものを、博士論文として提出することになりました。審査にあたったのは、かつての師ラッセルと、もう一人の重鎮、G・E・ムーアです。審査を終えたヴィトゲンシュタインが、二人の審査員の肩を叩きながら、「心配しないでください、あなたたちには一生理解できないでしょうから」というような趣旨の言葉をかけたという逸話も残っています。ムーア自身が書き残した審査報告書には、こんな一文があります。「これは天才の仕事だと私は考える。たとえ私が完全に間違っていて、実際はそうでないとしても、これは博士号に必要な水準を十分に超えている」。それほどまでに、この本は、当時の哲学界の最高峰の頭脳たちにとってさえ、一筋縄ではいかない代物だったのです。そして、復帰した彼が向き合うことになったのは、他でもない、かつての自分自身でした。『論理哲学論考』の像理論そのものへの、根本的な疑いが、ヴィトゲンシュタインの中で芽生えていたのです。言語の意味は、現実を写し取る対応関係によって決まるのではなく、それが実際に使われる具体的な状況や実践――彼はこれを「言語ゲーム」と呼びました――の中でこそ定まるのだという、まったく新しい考え方への転換が、ここから始まっていきます。一冊の本によって「哲学のすべてを解決した」と確信していたはずの哲学者が、その後の人生の大半を、その本自体を書き直すことに費やしていく。これほど稀有な軌跡を歩んだ哲学者は、そう多くはありません。この転回の全体像は、いずれ、彼のもう一つの代表作『哲学探究』を取り上げる回で、あらためて詳しく読み解いていきたいと思います。
【独自の視点】このチャンネルとしての批判的検討
ここで一つ、このチャンネルとしての、批判的な視点を挟んでおきたいと思います。『論理哲学論考』は、出版された直後、「ウィーン学団」と呼ばれる論理実証主義者たちのあいだで、熱狂的に受け入れられました。彼らはこの本を、形而上学的な言明はすべて無意味であることを示した書物として読んだのです。ところがヴィトゲンシュタイン自身は、フレーゲに原稿を送っていたのと同じ頃、友人ルートヴィヒ・フォン・フィッカーへの書簡の中で、この本のもっとも重要な部分は、あえて書かなかった部分――倫理や神秘的なものについての、語られざる領域――にあるのだと明言していました。つまり、後にこの本にもっとも強い影響力を与えることになる読み方は、著者自身がすでに出版前から抱いていた意図とは、かなりずれていたということになります。この皮肉を象徴するような逸話も残っています。ウィーン学団の中心人物、モーリッツ・シュリックらがヴィトゲンシュタインを招いて議論の場を設けても、彼はしばしば、論理実証主義的な議論そのものには乗ってこず、部屋の隅で参加者たちに背を向けて座り、詩人タゴールの詩を朗読して聞かせることさえあったと伝えられています。厳密な論理を突き詰めた哲学者が、その受け手たちの前では、論理ではなく詩を差し出していた。これほど雄弁に、この本をめぐるすれ違いを物語る場面はないかもしれません。また、「語ること」と「示すこと」という、この本の核心をなす区別そのものについても、後世からの批判があります。この区別が本当に維持できるのか、区別することそのものが、すでに本書の枠組みの中で語られてしまっているのではないか、という論理的な緊張が、当初から指摘されてきました。そして何より、もっとも徹底した批判者は、ヴィトゲンシュタイン自身でした。後期の『哲学探究』において、彼は像理論そのものを、事実上放棄することになります。一人の哲学者が、自らの主著を、これほど根本から否定した例は、哲学史の中でも稀です。個々の理論――像理論や、要素命題といった考え方――は、著者自身によってすら、後に退けられることになりました。それでもなお、この本が今日まで読み継がれているのは、言葉によって語れることの限界を、とことん見極めようとした、その徹底した姿勢そのものに、今なお価値があるからではないでしょうか。
【まとめ】語りえぬものの、その先へ
今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインという人物と、彼の『論理哲学論考』を辿ってきました。ヨーロッパ屈指の富豪の家に生まれ、兄弟の悲劇を背負いながら育ったヴィトゲンシュタイン。親友を戦争で失いながら、戦場と捕虜収容所という、極限の状況の中で、一冊の哲学書を書き上げたヴィトゲンシュタイン。世界と言語の構造を、像理論によって解き明かし、論理の正体を見極め、独我論と実在論の境目さえ溶かしてみせながら、最後には、自分自身の言葉さえも”梯子”として投げ捨てるという、徹底した自己否定にたどり着いたヴィトゲンシュタイン。そして、莫大な富も、確立されたはずの答えも手放して、小学校教師や庭師という道を選び、最後には、その本自体を書き直すことに、残りの人生を費やしていったヴィトゲンシュタイン。これらすべてを貫いているのは、言葉によって本当に語りうることの限界を、決して妥協せずに見極めようとする姿勢だったと思います。情報があふれ、誰もが何かについて語ろうとする今の時代だからこそ、「本当に語りうることは何か」「語れないからといって、それが無価値だとは限らないのではないか」という、ヴィトゲンシュタインの問いは、むしろ今こそ切実なものではないでしょうか。莫大な富や、確立された答えを手放してでも、自分の内側にある確信に従って生き方を変えていった彼の生涯から、私たちは何を受け取ることができるでしょうか。今日の話が、何か一つでも、皆さんの心に残るものがあったなら、ぜひ、チャンネル登録と高評価をお願いいたします。次回もまた、一冊の哲学書、あるいは一人の思想家の考えを、じっくりと読み解いていきます。それでは、また次回、お会いしましょう。

コメント